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2021.08.31
2021−夏 BOOK LIST
57年ぶりのTOKYOオリンピックが開催され、感染症は蔓延し、行動は規制され、摩訶不思議な2回めの夏が終わろうとしています。
皆様はいかがお過ごしでいらっしゃいましたか?
私はこの夏も、心を本の世界に遊ばせました。
夏休みの宿題ではありませんが何冊か心に残った本をご紹介します。
今年は、今まであまり興味の持てなかった幕末史を扱った本もリストに入りました。
1)「その後の慶喜」家近吉樹著
これが、おちゃらけた「その後の慶喜ライフ」なのかなーと思いきやぜんぜん違うのである。
大政奉還を成し遂げ、心ならずも朝敵の汚名を被せられた慶喜の長い人生後半戦にスポットを当てた作品で、読了した後には、ため息一つ、そしてすぐにアンナ・シャーマンの「追憶の東京」から上野―最後の将軍の章を再読することとなった。
人生は、終わるまで勝者は誰かわからんーというのがまず心によぎったことであり、慶喜のしたたかさ、さすが徳川260年のしぶとさを目の当たりにしたような気がした。
要するに、慶喜は、自分を追い落とした新政府が作り上げた明治の始まりから終わりまでを見届け、そして自らを葬り去った新政府の面々の生き死にを見届け、その間に名誉も回復し、徳川歴代将軍の誰よりも長生きをしたのである。
静岡時代は、渋沢栄一以外の幕臣とは面会せず、これまた蟄居した先で斬首された小栗忠順とは対象的だ。
小栗は、家族と家臣と大量の荷とともに権田村に移ったが、謀反を起こすやもしれぬと新政府に警戒された。
慶喜は、時制が落ち着いた頃、渋沢栄一とともに「昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談」を制作して、そしてその後は渋沢栄一とも会わなくなったという。
慶喜は引退後も、徳川武昭や、大正天皇后、有栖川宮などの人々と交流しながら自転車、写真、刺繍、狩り、最晩年には自動車を楽しんだのだそうだ。
諦念はありつつも、ある幸せな一生だったのではないか。
2)「類」朝井まかて著
朝井まかての本は読んだことがなかった。
「類」は、森類。
森鴎外の末子である。森茉莉、小堀杏奴の弟だ。
ここに感染症が出てきた。百日咳で死にかけた茉莉と死んだ不律だ。
その昔、森茉莉に一時大ハマリしていた時期があった。
文庫本で買うのでは物足りなく、筑摩書房から出ている「森茉莉全集」を揃えて、そこから拾い読みして満足していた。
しかし。
この「類」を読んだ後は、森茉莉の作品を読んで、再確認せずにはいられない。
「クレオの顔」
愛すべき姉弟である。
茉莉の気ままさ、自儘。
そして杏奴の、芸術家気質を備えながら、どこか保守的な思考を抜け出せない生活態度。
そして芸術家にもなりきれず、しかしながら生活一般が芸術的である類。
最後は、妻に「働いてください」と懇願される。
杏奴には筆禍で、姉弟関係を断絶され、自儘で掴みどころのない茉莉に共犯者めいた心持ちで、すがり、頼り、金を借りる。
類の、妻と子どもたちに迷惑をかけっぱなしでいながら、戦時中であっても、どうしても東京に出ると自分だけ喫茶店で珈琲とアイスクリームを食べることをやめられない。
いや、やめられないという発想でなく、類にとっては当然の行為なのである。
類は、パリに絵の勉強に行った。
しかし、生活芸術者である彼がパリで得たものは、身にまとう空気感であり、食であり、少なくとも絵に対する真摯な気持ちではなかったのである。
おそらくパリの空気を身にまとった類は、意外と魅力的な男であったのかもしれない。
そんな体たらくでありつつも、美穂との結婚式は帝国ホテルであげた。
一緒に、昼夜逆転の生活をしていた長女の茉莉。
しかし、茉莉だけはその自堕落な生活を見事に芸術に消化させ、作品の中に花開かせた。
最初は杏奴の作品の影に隠れていたように見えたが、最終的には、森家の兄弟の中で一番の文豪となっていったのだ。
そして類はあくまで生活芸術者として終わる。
いや、彼も書いたのだ。
そしてその内容で、杏奴と断絶することになる。
類にはそれがなぜなのかどうしてもわからない。
暮尾は麻里とその息子の普律の間で、「クレ叔父」といふ愛称で、呼ばれていた。
(「クレオの顔」森茉莉)
「類」、このものがたりは、
生活芸術者であり、それを作品に昇華させた茉莉、
生活芸術者であろうとしたけれど、世間の目、母親、夫に美しい夢物語を見せ続けることに転換した杏奴、
そして生活芸術者であることにしか、その意義がないことを認識し続けていた類、
の人生を苦くえがいたものである。
3)「ミシンの見る夢」ビアンカ・ピッツオルノ
サルデーニャ出身のビアンカ・ピッツオルノは、児童文学の作家としてのほうが有名だと、私のイタリア人の友人から知らされた。
19世紀イタリアの話、おそらくシチリアか南イタリアの話であろう。
お針子である主人公は、家族が全員感染症のコレラで死に、唯一の身寄りである祖母と2人で暮らすことになる。
上流階級の家に奉公として住み込むことはせず、半地下ではあるが少なくとも二人の家であるアパートに暮らしながらお針子をして生計を立てている。
祖母が死に、7歳から針の仕事を祖母から見様見真似で習い始めた主人公は、祖母の後を継ぎ、お針子をしながら生活していくことになる。
家賃を払わない代わりに、アパートの共有部分の掃除をしながら、あちこちの家に呼ばれて仕事をしていく。
故に、「お針子はみた!」状態の家族の秘密をたくさん知ることになるのだ。
パリのプランタンからドレスを注文しているかのように見せかけていた弁護士の家族や、若旦那の私生活の隅々まで面倒を長年に渡って見てきた年寄りの女中、自由を謳歌し、主人公に年金を当てながらも最後は殺されてしまったアメリカ人のキャリアウーマンなどなど、登場人物は多彩である。
主人公の秘めたる恋話も出てくるが、決してハッピーエンドには終わらない。
いわゆる大奥様、とよばれる街の上流婦人が死んだのは104歳の時だったりする。
最後は、突然の大円団という気がしないでもないが、19世紀、マッチョなイタリア社会で、女が一人腕一本でしっかり社会に立っていくというテーマは希望を与えてくれる。(とはいえ、主人公はレイプまがいの目にあい、針で応戦したりもする嫌な場面も出てくる)
この本から感じる、懐かしい南イタリアの匂い。
物語から立ち上がってくる空気や風、光までもが懐かしく、過去に何度か過ごした南イタリアの夏がしみじみ恋しい。
4)「万波を翔る」木内昇著
「その後の慶喜」に続く幕末物語。
この本を手にとったのは、大河ドラマの影響にあることは間違いない。おそらく人生で初めてオンタイムで見ている「青天を衝け」
最初は題字が、え、杉本博司なの?程度の興味だった。幕末は明治維新と相まって、日本史の中でも一大転換期であるし、登場人物も沢山いる。
大河ドラマでも何度も取り上げられているこの時代ではあったが、今まではどうも興味を持つことができなかった。
しかし、今回の「青天を衝け」は農民から攘夷活動を経て幕臣に取り上げられ、しかも経済の父とよばれるまでになった渋沢栄一が主人公だし、何しろ脚本が大森美香ということで見ているうちに、だんだんこの時代のことをもっと知りたくなってきた。
大河に続いて、同じNHKの番組で「英雄たちの選択」を見たことも大きかったかもしれない。
その番組では、パリ万博における幕府側の外交失敗が取り上げられていた。
栗本鋤雲、そして田辺太一。
「万波を翔る」の主人公は田辺太一。
1857年、長崎海軍伝習所で学び、後、外国奉行・水野忠徳の下で働くことになる。こうして外交という仕事の末端についた田辺太一は、時制の急な展開とともに、自らも政治と外交の嵐の中に投げ込まれていくというノンフィクションである。
太一はベランメイのチャキチャキ江戸っ子である。
上司におもねることはできない。
思ったことは言う。
だからこそなかなか念願の欧州への使節派遣もかなわない。
二度も行けそうになりつつ、直前でだめになるのだ。
しかし、太一は諦めない。
その後、咸臨丸に乗り、水野とともに小笠原諸島の測量に関わったり、徳川昭武の一行とともにパリの万博にも出向くこととなった。
パリに出向いている間に、徳川慶喜は大政奉還を果たし、田辺の仕事は新政府に受け継がれてしまうことになる。
しかし、ここで田辺は幕府としての今までの外交の失敗点からどうすべきであったのかをまとめた外交指南書を作成し、それを勝海舟に託す。
最後は、渋沢栄一が、沼津の徳川家兵学校の教授におさまった太一を、外務省へ入省させるべく口説きに来るシーンで終わる。
田辺太一は、その後新政府の外務省に入省し、岩倉遣欧使節団に一等書記官として随行、また清国公使館に5年勤務するなど、日本の外交に大きく貢献した。
パリで一緒だった栗本鋤雲は「二君に仕えず」と新政府からの要請を固辞し、その後ジャーナリストとして海外文化を紹介するなど活躍した。
一番の感想が、時代が変わっても国の本質は変わらない、という哀しい感想である。
太一はじめ、彼を取りまく同僚や上司の気質に時代性からくる違和感がない。
昨今の日本の政治の混迷、感染症対策における右往左往、責任の所在のおしつけあい、哀しいほどのリンクを感じるのだ。
もしかしたら岩瀬や、水野のような外からはわかりにくい切れ者、太一のようなパッションだけは誰にも負けないような逸材もいるのであろうか。
(とはいえ、岩瀬も水野も蟄居させられてしまうのだが。。)
しかし、ということはやはり今の時代は混迷を極めた時代だと言うことが言えるのかもしれない。
この国の舵取りをどうしていくのか。
「この国の岐路を異国にゆだねてはならぬ」
5)「ザリガニの鳴くところ」ディーリア・オーエンズ
読了後、心は未だ行ったことのないノース・カロライナの湿地をボートでたゆたっている。
昨年からかなり話題になっているミステリー小説である。
ミステリーであると同時に、壮大な女の一生を描いている作品でもある。
作者のディーリア・オーエンズがもともと動物学者であることから、湿地と底に生きる動植物の生態も詳細に描かれており、まるでいつのまにか自分もボートに乗って、湿地のあちこちをさまよっている感覚になるのだ。
幼いカイアのもとからは家族が次々と立ち去った。
まずは3人の兄姉が。
そして母親が。
最後に、一番自分と仲良しだった兄が。
カイアは、アルコール依存症で、暴力的で、人生に絶望している粗野な父親と二人湿地の中の掘っ立て小屋に取り残されたのだ。
しかし嘆いている暇があるわけもなく、なんとか「生き延びる」手段を7歳ながらに講じていかねばならない。
粗野な父親に小銭をもらいながら食料を買い、なんとか料理をして食べていかねばならなかった。
その父親すら失踪してしまった後には、ムール貝を掘り出し、それを黒人の経営する雑貨食料品店に売ることで命をつなぐ。
食料品店の黒人夫妻は、黙ってカイアの手助けをする。
そのうちに、カイアは、後に学者になり、カイアと生涯を共にすることになるテイト、そしてカイアと関係性を持つことになる街の有力者の息子、チェイス・アンドルーズと知り合っていく。
カイアが大人の女性になり、一時付き合いのあったチェイス・アンドルーズが死に、物語は一気にミステリーの様相になっていき、裁判の詳細なシーンが描かれる。
大人になったカイアはどうなったのか?
彼女はその人生をともに行きた湿地の事を知る大家となったのだ。
まだ幼い頃から集めていた湿地に降り立つ鳥の羽根、そして貝のコレクションはいつの間にか博物館並みのレベルになっていた。
そして絵を書くことを覚えたカイアは、湿地の植物や動物の絵を書いた。
カイアは、湿地に生息する動植物や、貝に関する本を出版することになったのだ。
「好き」を追求したら、それが大きく育っていった。
ふと、ちょっと前に読んだ本を思い出した。
「ビシネスパーソンのためのクリエイティブ入門」原野守弘著
名著である。
原野さんは言う。
全ては個人的な「好き」からはじまる。
「好き」とは「共感」し、「連帯」することだ、と。
カイアの「好き」は、テイトの「共感」を生み、出版社の「連帯」により本という形に結実したのである。
作中のアマンダ・ハミルトンの詩も素敵だし、ミステリーの要素にもドキドキしつつ、最終的に、私が一番感動したのがカイアの「好き」が「本」という形に実ることであった。
そして最後は思いがけない展開に、少し心が揺さぶられたのだった。
2021.06.08
鈴の音に引き寄せられて
そこにはたくさんの骨董屋さんの広告頁が出ているが、数ヶ月前からある広告が気になっていた。
骨董屋とは、大体が漢字の重々しい屋号で、こちらが威圧感を感じるのが目的なのかはわからぬが、とにかくそんな感じである。
ところが目についた骨董屋の屋号はアルファベット、しかも英語ではなく、どうやら造語らしいのである。
グラフィックも、何やら今にも倒れそうな、風邪で寝込む寸前、のような脱力感満載のものなのだ。
驚きはもう一つ、その場所である。
その雑誌に掲載されるのであれば、お約束であるような京橋界隈ではない。
全く違う,いわゆる住宅街として認識されている場所である。
驚き三連発の上に、掲載されている骨董は至極まっとうな、というか由緒正しき感じの作品で、印象に残った。
昨今は骨董屋といえども,時代の波に抗うことはできない。
一昔前であれば、そんなもの、とそっぽを向きそうないわゆる重鎮骨董屋さんもSNSを無視できない時代になった。
私も、SNSでは骨董屋さんを数箇所フォローしている。
最近はAIによる解析で、私が興味を持ちそうなものは勝手に紹介されてくる。
そんな中で、鈴の展示の記事を載せているアカウントがあり、おや、と思いフォローしてみた。
なんでも6月にコレクターが長年に渡って集めてきた鈴の展示販売をするという。
鈴である。
鈴は、今から10年くらい前に三個ほど縁があり、手に入れたことがある。3点とも江戸時代のもので、一つは馬鈴、一つはお寺さんの鈴、もう一つはわからない。
その後、良いな、と思った鈴を骨董屋で見かけ、価格を聞いてみたら50万円といわれ、速攻諦めた。
10年を経て、再び鈴である。
しかもコレクターの集めてきたものである。
なんでも、明治時代に集めたものらしい。ということは所有者はもう亡くなっているはずだ。
これは行ってみたい!と心を決め、あらためてアカウントのプロフィール欄をみてみたら、なんと私が目を留めていたあの革新的骨董屋さんだったということがわかって、二度驚いたのだった。
展示は午後1時からだとのことだったが、整理券を配るらしい。
整理券で順番を決め云々は、最近の傾向とは思うのだが、わたしはふらっと出かけ、そこにあるものの中から縁のあったものを持ち帰ることを好む。
多分、目指すものだけを目的に出向くと、見落としてしまうものだらけになってしまうから、その時のライブ感を大事にしたいと思っている。
これは過去にいろいろな買い方をしてきた末に得た私の結論だ。
店についたのは2時過ぎ頃だったか。
展示物はトータル108点とのことだったが、さすがに半分くらいになっていたのだろうか。
でもまだまだ選ぶ余地はあるのでかなりの時間をかけて数点を選んだ。
中国清朝の鈴、江戸時代の実用鈴、装飾鈴、華鬘鈴、面白いのが、江戸時代の神品ブームとして復刻された古代鈴などである。
また店にいた時間が愉快であった。
物腰柔らかで誠実な感じの店主に引き寄せられたお客さんたちも、そんな感じの方々ばかりで、自然に話が始まり、お互いに知識を分け合ったり、私がめざす「感性のおすそ分け」が自然な形でなされているのである。
そんなわけで思ったよりもずっと長い時間、店内で過ごすこととなった。
最後の嬉しいおまけは、コレクターがその愛する鈴を収めていた清朝の漆箱を購入できたことである。
最初は、箱を販売しているとは気づかず、店内にのんびり長くいたので「あれ、もしや売り物かしら?」と思って聞いたところ売り物と分ったのだった。
帰宅後、あらためて箱を開け、鈴を一つずつ,ちりんと振ってみた。
時代の音である。
心が、いにしえの時代にリンクし、しばし彷徨う豊かで贅沢な時間を得た。
鈴の音にしばし魂を委ね、最近友人に借りたばかりの本を読み始めてまた仰天することになった。
友人からは、外国人が書いた東京に関する本、ということで、それはそれで正しいのだが、驚いたのはこの著者であるアメリカ人女性、アンナ・シャーマンが、時の鐘をモチーフに東京を追憶する本を書いたことだった。
鐘は鈴ではないが、鈴の巨大版とも言える。
江戸時代に鐘には大事な役割があった。
時を知らせることである。
そのおかげで江戸人はいつ起きて、仕事をして食事をして眠るのかを知ることができたのである。
シャーマンは、現存する時の鐘をめぐり、そして失われてしまった時の鐘があったはずの場所に佇む。
江戸時代に時の鐘があったのは寺である。
今でも現存しているのは浅草寺(浅草)であり、寛永寺(上野)であり、大安楽寺(日本橋)であり、築地本願寺(築地)などなどであった。
シャーマンはその場所その場所を訪れ、人々に話を聞く。
その殆どのストーリーを私は知らない。
この本によって、日本の歴史を形作ってきた鐘の存在感がぐんと大きくなってきた。
江戸の時の鐘に思いを寄せつつ手元にある江戸時代の鈴を振ってみる。
これも歴史のロマンの一コマかもしれない。
「追憶の東京 ー異国の時を旅する」 アンナ・シャーマン著 吉井智津訳 早川書房
The Bells of Old Tokyo Travels in Japanese Time by Anna Sherman
2021.05.31
KIMIYO WORKS作品販売について
ご興味のある方はcontactよりご連絡ください。
作品1 Vintage Grosgrain Tape Colour sample 6854(オブジェ) 縦16x横7cm ¥23,000(税込)
いしにえのグログランテープ見本帳にインスピレーションを得て製作された作品。
時代を感じさせるよごしが心憎い。
作品2 Necklace (オブジェ) 縦18x横3cm 裏素材:茶レザー ¥34,000(税込)
遠目から見るとホンモノのネックレスのよう。手にとってみて、初めてオブジェだったことがわかるユーモアのある作品。
特に、壁にかかったネックレスが、少し重みで曲がってしまう自然の表情をつけるのに苦労したものの、その甲斐あって、楽しく美しい作品が出来上がった。
ペンダントトップの石のきらめきも感じられる。
作品3 Garden (オブジェ) 縦6x横5cm SOLD OUT
イースターの時期は花とイースターエッグを模したスイーツであふれかえるイギリス。そんなイースターの楽しい気分を表現した作品、Garden
持った感じが卵を慈しむ感じ。
ワイヤーが入った絲仕事を施した小さな花びらが何十枚も連なって卵の形になり、その中に可憐な花が二輪咲く。
中の素材は、文字がシルクスクリーンで記された生地が使われている。春の詩が書かれていたのかもしれない。
卵型を削り出し、その上を這わせるように花びらのようなパーツを添わせていき、それを縫い合わせ,その上に金糸を回し留め付けている。
覗いて楽しめる作品。
また影ができるので、それも一緒に楽しめ、アートの世界にいざなわれる。
作品4 Cup&Saucer (オブジェ) 縦12x高さ7cm ¥45000(税込み)
2020年、自粛期間に作ったカップ&ソーサー。
カルトナージュ製法ですが、端はのりで張り込むのではなく、まつり縫いをしている。こちらの方が、違うと思えばまたやり直したりできるのでやりやすい。
こういう遊びのある作品は予定のない時間にしかできないので、おそらくもう二度とできないであろうと感じる。
作品5 Sewing Box (オブジェ) 縦18x 横19cm 紙箱入り ¥110,000(税込み)
今回の展示の中でのシグネチャーピースといえる作品。
11点もの裁縫関連グッズが並ぶその様は見ているだけで気持ちが上がる。
しかもそれがすべて絲作品であることに感動する
古いボタンが縫い付けられている紙のシートがよくヨーロッパのアンティークショップで売られているが、ボタンが一個落ちている場合も多い。
それを再現したのが一番左の作品。
ガーゼを4枚重ねして古い紙の質感も出している。
エンドレスに見入ってしまう作品。
2021.05.20
Thread colour into the past 展示を終えて
あらためまして、ご来廊のお客様、また展示後のオンラインをご覧になってくださった方々へ心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。
展示全作品は、1週間限定で公開しました。
このブログでは、主だった作品のみの掲載になりますが、その代わりに会期中にわたしが拾った、印象に残ったKIMIYO WORKS語録をご紹介することにしました。
こちらを読みながら、展示を思い出していただければ幸いです。
*作品作りに使われる素材に関して
KIMIYO WORKSの作品は、イギリスやフランスを中心とするヴィンテージ、アンテイークの素材を使い、そこに刺繍を施しています。
刺繍は、通常の刺繍糸は殆ど使わず、ミシン糸である100番のドイツ、Mettler及びそれよりも細いフランスのfil a gantのものを使っています。 洋服を縫うための糸が通常60番なので、それよりもかなり細い糸を使うことになります。
これらの糸を使って作品を刺していくための針は、細く、日本では手にはいりません。
イギリスからの輸入針を使いますが、その針は日本の針と違い叩いていないので、容易に折れてしまったり、曲がってしまいます。
今回の展示では20本の針を指し潰しました。
*やりすぎないこと
刺繍のスキルを見せてぎっちり差し込んでしまうと、作品に見る人の気持ちの入る余裕がなくなってしまい、窮屈な作品になってしまいます。 空間を縫い潰していくことは、ある意味簡単なのですが、そこをやりすぎないことが作品作りにおいて一番難しい点です。
またやっつけ仕事をしないこと、これも大事なことです。
一つの作品にあまりにも時間をかけすぎると、「止めるべき点」を見過ごし、わからなくなってしまい、結果としてやっつけ仕事になってしまいます。 ですから止める決断も大切です。
*五感の活用
今まで刺繍というのは出来上がったら、額にいれて、以降は触ることのできないものにしてしまうのが一般的でしたが、今回は、違うアプローチ、すなわち五感をフルに活用して作品を味わっていただきたいという願いがありました。
触ったり、箱に入れて時折蓋を開けて覗いたり、時には中の位置を変えて表情が変わるのを楽しんでほしいと思います。
洋服の中で一番好きな衿とカフス。
不要不急ではあるけれど、あれば心が豊かになる、触ることのできる、五感を刺激してくれる作品に落とし込んでみました。
この衿とカフスのセットが、箱の中にまっすぐ置かれていればお出かけのシーン、そしてちょっと斜めにしてみればワクワクする気持ちを表現したいと思いました。
触って楽しめて、大人の遊び心を満たすように。
立体でありながら、プリントみたいに見えたらとも思いました。
作品 Collar & Cuffs Pink
作品 Collar & Cuffs Green
緑の衿の縁に角張ったアンティークシードビーズを差し込んでいますが、これが光の角度によって光り、作品に彩りを添えてくれます。
このシードビーズが丸かったら、この硬質な光とはまたべつものになったでしょう。
緑は、京都で見つけた漆の糸を使っています。
細い紙に漆を塗った状態の糸は、張りがあり、その特性を生かして四角に糸を留め付けたところ、線に膨らみが出ました。
深い輝きがあり、よく見ると鈍い光が有るのが漆の糸の特徴です。
ですから刺す、というよりは糸を留め付ける、という感覚で制作していきます。
また布と糸の間に違う素材が入ると、しまるのでメタル素材のネームプレートを縫い付けてあります。
素材にこだわりがあるので、素材が揃った時点で、もう制作の半分は終わった気がします。
*下書き
下書きはしません。
その時の感覚を大事にしているので、輪郭を写し取るだけです。
細かく書いてしまうと、刺繍はそれをなぞるだけになってしまうから。
*作品 In the park
In the parkは今回のシグネチャーピースの一点。
ハンティングの情景を描いたヴィンテージの生地、周りを緑色のリボンで囲われた木蓋の上に古いガラスの箱
その中には、ロンドンハイドパークで犬を散歩させたワクワクした気持ちが作品として収められています。
犬を遊ばせるためのボールに見えるパーツは、昔に作ったもの。
いつ使えるかわからないパーツでも、作っておくと、今回のように「あれだ!」と使える日が突然やってきたりすることがあるのです。
昔に作ったパーツで、今回の作品に使用
In the park
*In the wood
森を散歩していて、森の四季が木を通して表現された作品です。
しかも、この木は配置換えが楽しめます。
作者から次の所有者が遊べる余裕が残されている作品になりました。
澄敬一作のガラスのついた木箱が窓のような役割を果たしています。
このガラスの窓の開き具合でもまた見え方が変わってきます。
開いた窓
*無駄の中にある豊かさ
無駄を大事にしています。
作品を見て「一体これは何に使うの?」と聞かれることがあります。
答えは「何にも使わない」
時に、「何にもならないもの」=「無駄なもの」と認識されることもあるかと思います。
でも、この無駄の中に夢があると思いませんか? 例えば、今回のイメージモチーフの一つとなったシューズ型の木製たばこいれ。靴の形をしています。
その小さな木製のシューズには、真鍮や銀の線で細かい装飾が施されています。
煙草の葉入れという目的には何の役にも立たない装飾。
でも、これは「無駄な装飾」でしょうか?
一見無駄なこの装飾が有ることで、所有者にとって人一倍の愛おしさが増すものではないかと思うのです。
必要ではないけれど、あればもっと心豊かに生活できる宝物ではないか、と。
*Shoe 1
今回、ギャラリーからイギリスヴィクトリア時代のSnuff shoe (タバコの葉入れで、特に靴型のもの)をお借りしました。(上記で語ったシューズ型の木製煙草入れのことです)
その中で、イメージを作品に落とし込んだShoe シリーズ。
特に、Shoe 1は、そのSnuff shoeを真上から見て刺繍に落とし込んだもので、一見何なのかわからないが、それが想像する楽しみにつながっていく作品になっています。
しかも、テーマである「過去に糸で色を付けていく」に忠実に、過去を思い出し始めた時は黒い刺繍が、過去を思い出すにつれ、色がつき、鮮やかな赤い刺繍が施されました。
固定してみるのとは違った面白さが生まれています。
Shoe1とアイディアソースのSnuff shoe
Shoe1
Shoe 2とアイディアソースのSnuff shoe
記憶のさざなみとともに
*Bulb
通常であれば額装する作品ですが、あえて軸に飾ってみました。
和の裂地との相性はどうだろうと心配しておりましたが、意外なミスマッチが楽しい作品になったと思っています。
球根を地球に見立てて、球根から芽が出てそれが花になっていく。
球根には、土がついていたり皮がついていたりするものですが、それをシードビーズを重ねることで表現してみました。
昔の植物図鑑のように、文字を入れると画面が締まり、カチッとした感じになります。
球根の先に羽が生えているというなんともファンタジーな世界観ですが、これは今はみんな我慢が必要だけれど、そのうち花も咲き、羽で平和な時代へ飛翔することができるよ、とのメッセージをこめています。 羽には、細いリボンでふわっとさせるための刺繍をかけて、羽の軽やかさ、柔らかさを表現しています。
軸装されたBulb
*ヴァーチャルアトリエ
今回、イメージの一つとして、ギャラリーの片隅にヴァーチャルアトリエのコーナーを作りました。
金のメッシュを薬品で加工し、錆びさせたミニシューズは、残念ながら時間切れになってしまい、作品として展示に間に合わせることはできなかったのですが、皆様が製作途中のイメージを掴んで頂けるヒントになったようで嬉しく思いました。
刺繍の下絵と共に
以上、KIMIYO WORKS語録でした。
実はKIMIYO WORKSは既に来年の個展に向けて走り出しています。
皆様との来年の再会を楽しみにしております。
2021.04.14
Thread colour into the past 4/23(Fri)-5/2(Sun)
コロナは年が明けても、収まったとはとても言い切れない状況が続いています。
外出時の検温、マスク着用、指先消毒も、もはや常識となりました。
旅行も外食もなかなか思うようにはできませんが、それでも人間というのは別の楽しみを見つけて力強く生きていくものですね。
急に植物や野菜育てに目覚めた人や、読書や家で見る映画にハマる人、料理に目覚め、調理器具を一新する人、そして手仕事に目覚める人も多かったのではないでしょうか?
そう、手仕事です。人のぬくもりが感じられる編み物や洋裁、刺繍などなど。
今回、ギャラリー久我ではじめてタイトル付きの展示を開催することになりました。
しかも刺繍という手法を使った作品展です。
Kimiyo−works主宰の倉富喜美代さんとは、拙ギャラリーでのチーズイベントにおいで下さったことがきっかけとなり、ご縁をいただくことになりました。しばらく刺繍をなさっているとは知らなかったのですが、ひょんなきっかけから作品を見せて頂くことになったのです。

緻密な刺繍の中の、まず色使い、そしてなんとも言えないユーモアと遊び心に満ちたモチーフ。
kimiyo-worksの手仕事は、一般的には刺繍と呼ぶのでしょうが、私は「絲仕事」と呼びたいと思いました。
そして、ギャラリー久我で展示ができたら、、と強く思ったのです。
それはまだまだコロナで何の活動もできなかった昨年春のことでした。
ありがたいことに、倉富さん自身がこれからのあり方を変えていきたいと思われていたタイミングとも合致し、そこから私達は、 方向性を一緒に考え、あるべき姿に到達するための地場を一歩ずつ、整えてきました。
なんでも形にするためには、時間がかかります。
しかもそれは絶対に必要な時間であり、ある意味このプロジェクトがスタートしたのが昨年であったのはラッキーだったようにも思われます。
動きが止まってしまった世界の中で、逆に落ち着いて物事を考える時間が増えたのですから。
kimiyo-worksの作品展を開催する前段階としての準備が整ったのは、年を越した2021年に入ってからのこと。

今回の展示のテーマはThread colour into the past
colourがcolorでないのは、イギリス英語の表記をしているためです。
彼女の作品のどこかに、イギリスの香りがするのは、おそらく倉富さんの2度に渡る英国生活の影響が色濃いのだと思います。
しかも2度めには、ロンドン町中のmews(ミューズ)とよばれる、下が馬小屋でその上を改装したフラットにお住まいだったとのこと、そこから見えた世界観も作品に含まれているのでしょうね。
ちなみに下が馬小屋のフラット、というと何やらシャビーな感じがしますが、とんでもない!ロンドンでも屈指の一等地にしか存在しないミューズは貴族階級に大人気の物件なのです。
ですからご近所にどんな方々が住まれているか、推して知るべし、ですよね。
ミューズに住みつつ、刺繍を極められた倉富さんの経験。
そんなゆとりが生んだ遊び心と夢に満ちた作品。
私が惚れ込んだのはそこなのです。
持論ですが、本当のラグジュアリー(贅沢)はゆとりと余裕からくる遊び心が生み出してくれるもの。
こんな時節だからこそ、美しいものが見たくありませんか?
美しいもの、夢に満ちたものを見るゆったりした時間こそ、明日へのエナジーとパワーをチャージしてくれるように思います。
実際、私自身は刺繍のことは全く何も知りません。
ステッチの種類や、イギリス刺繍の特徴や、素材のことなども何もわかりません。
しかし、kimiyo-worksの作品を見たときに、すぐに「これはホンモノだ」とわかりました。
ホンモノ、とは私達にパワーをチャージしてくれる、夢のある作品だ、という意味です。
ホンモノ、って自然に私達の心を納得させてくれるものなんですね。そこになんの説明も必要ありません。
長くなりましたが、最後にタイトルに関する説明をしておきます。
Thread colour into the pastというのは、過去に糸で色を付けていく、みたいな意味です。
今回、イギリスビクトリア時代、生活用具が木製で作られていた時代、すなわち19世紀を意識しています。
この時代の木製の様々な生活用具は、イギリスではまとめて、Treenと呼ばれています。
生活用具、ということもあり、かなり幅広いモノがTreenにはあるわけです。もちろん、コレクターも多くいます。
手仕事のための道具で、実際に使用されていたTreenもたくさんあります。
今回の展示では、いくつかのTreenから落とし込まれたkimiyo-worksの作品もございます。
面白いので、作品イメージの元となったTreenも一緒に展示をいたしますので、どうぞお楽しみになさってください。
古い木をつかったTreenに絲で色付けをしていくと、kmiyo-worksの作品になり、それがThread colour into the pastになっていくわけです。
ギャラリー久我でのはじめてのタイトル付き、しかも絲仕事の展示ということで、わたしもワクワクしています。
皆様のご来廊をお待ちしております。
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