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2024.02.16

連載 Artbook「STEVE HARRISON」出版への歩み Chapter1 出会い

連載 Artbook「STEVE HARRISON」出版への歩み Chapter1 出会い

Artbook「STEVE HARRISON」出版への歩み



Chapter1 出会い


 ロンドンにあるV&A(ヴィクトリアアンドアルバートミュージアム)の6階は古今東西の焼き物作品で埋め尽くされている。

そこはいつでも人があまりおらず、静かな空間でありながら昔から現代までの世界の焼き物がずらりと揃っているので、焼き物の歴史を知りたい人にとってはうってつけの場所だ。

中国の焼き物、イギリスの19世紀焼き物、とにかくありとあらゆるものが勢揃いしている中、ある陶芸家の工房を再現した場所がある。

その陶芸家とはルーシー・リー。

こんなコンパクトなスペースで、作品を制作していたのか…工房をぼんやり眺めていると様々な思いが心に浮かぶ。

そして直感としか言いようがないのだが、ある思いが胸に去来した。

昨年その世界を知ったばかりではあったが、彼は、次世代のルーシー・リー(Lucie Rie)のような存在になるのであろう、と。

彼の名はスティーブ・ハリソン。

私が後に、出版部門を立ち上げてまでも制作したアートブック「STEVE HARRISON」その人である。


 スティーブがいかなる環境で育ち、陶芸に目覚め、その道を進んできたかについては既に書籍の論考で詳しく述べているので、 そこでは書かなかった私とスティーブの関わりに関して、まずはかいつまんで記載しておこうと思う。


 2007年から2012年の5年にわたってロンドンで暮らしていた私は、まずスティーブの作品と友人宅で初めて出会い、体験することになる。

当時、私はロンドンでイタリア語を学ぶイギリス人グループに参加していた。

大抵参加者のうちの2人のメンバーの家を定期的にレッスン場所にしていたが、時折私を含む違うメンバーの家でもレッスンをする。


 ある初夏の1日、その日ははじめて別のメンバー宅でレッスンをすることとなった。

天気も良いし、庭でやりましょうか、ということに。

メンバーの妻はケーキを焼くのが得意でケーキとお茶を持ってきてくれた。

ティーポットにマグ、クリーマー。白磁にハンドルだけに色がついている。その素材はボディとは異なる。

スティーブの作品との出会いだった。


 前後するが、イギリスで骨董を販売しようと思ってイギリスに渡る前に業者から古い日本の食器などを買い付けていた私にとって、スティーブの作品から得た情報は、「これはハンドメイドに違いないが時代は?どこの国のもの?」であった。それくらいスティーブの作品はティーセットとはいえ、最初から時代と国をクロスオーバーしているように感じられたのだ。


 その日はレッスンそっちのけで、メンバーの奥様にスティーブ作品について質問しまくってしまうこととなった。彼女は、元オークション会社のクリスティーズに勤めていてその後はガーデンデザイナーとなった美意識の高いイギリス人なので、そんな彼女が惹かれた作品であれば普通のモノではない。

聞いてみれば、かなり前にハットフィールドの陶器市でスティーブと知り合い、作品を工房に見に行くようになったのだという。

早速作家名、STEVE HARRISONをメモって、その頃は、きっと大手のデパートもしくはギャラリーに足を運べばすぐにその作家の作品を見ることができるのだろうと甘く考えていた。


 数日後、ハロッズ、セルフリッジ、ジョン・ルイス、リバティ、とデパートを隈なく巡ってみたがもスティーブの作品にでは出会えない。

では、とギャラリーを見てみる。大英博物館近くの焼き物専門ギャラリーに足を運ぶもやはり彼の作品はない。


 現存の作家の場合、その時どきで受ける刺激によっては作風がまるで変わってしまう。(ピカソを見よ)

私が見たスティーブの作品の世界観は今でも保たれているのであろうか?それが本人に会うのを躊躇してしまったメインの理由なのだが、これだけロンドンの街中で作品を見ることができないのであれば、作家自身にコンタクトを取るしかあるまい。


 そこで、今度はネット検索をかけてみたところ、スティーブの旧式なホームページがヒットした。あまりにも素朴な作りの、いかにも素人が制作した感満載のH Pである。とにかくそこが彼のH Pであることは間違いない。

コンタクト、とあったのでそこにメイルを出してみた。

あなたの作品を友人宅で見たのですが、とても興味があります。つきましては工房を訪問し、作品を見せていただくことは可能なのでしょうか?と。


 返事はすぐに来た。

「可能ですが、今はお見せできる作品はありません。また声をかけます。」


そのまま六ヶ月が経ち、ほぼそのやりとりを忘れかけていた頃、スティーブからの返信がやってきた。


「今なら作品もありますのでよかったら」と。

早速出かけることとした。当時住んでいた北ロンドンとスティーブの住むエンフィールドはそれほど遠くない。

しかし、その日ノースサーキュラーという環状線の大渋滞に引っかかって遅れてしまった。

遅刻してしまったことに焦りながら、陶芸家の工房らしい場所を探すも、全く我が家と似たようなイギリス典型のテラスドハウスの家がずらっと並んでいる通りしか見えない。

住所を見ると、まさにその一軒である。

早速ベルを鳴らし、本人に初お目見え、中に入ると普通の住宅である。

と思ったら、テラスドハウスは中庭がある構造になっているのだが、どうやらそこに工房があるということがわかった。

まずキッチンでお茶とケーキをいただきながら、スティーブとあれこれ作品について話を聞く。

その後工房へ案内され、スティーブは今作成しているものの作業をしつつ、棚から選んでいいよと言われたものの中から数点選んでみた。

実はその際、完成品が全く見えない状況で予約したのが,後のStill Life(焼き物で描く静物画)シリーズであった。(おそらく当時はトレイの部分の一枚板を見せてもらっただけだった。)

聞けば、木材の旋盤も自分でやるという。

どうやらこの陶芸家は、ただの陶芸家ではないぞ、と直感した。


 持ち帰った作品は早速日常生活で使うことにしたのだが、その使いやすさ、軽さにまず驚くこととなる。

美しさと機能性はこのように平衡できるのだ。

スティーブの作品は、私の日常生活の中にすんなり、そしてしっかりと溶け込んだ。


 それから何度工房に出かけていったのだろう。

スティーブの口から作品の背景について知る。今夢中になって取り組んでいるプロジェクトのことを知る。初期、のスティーブはプロジェクトを自分のために作り上げ、展示も自らの工房で行っていたのだ。


 東日本大震災が起きたその翌年に、イギリスを離れることになった。

その頃から私の中に、このスティーブ自身の陶芸家としてのあり方がものづくりをする人々にとっての、ある種の灯台になるのではないか、という強い思いが立ち上がってくることとなる。

その橋渡しを紙の本という形でまとめよう、と決心した。今思えば、本作りに携わった経験がない私にはその時点でのノウハウはおろかコネクションもゼロ。ただ湧き上がってきた思いに忠実に進んでみようという強い意志だけがあった。


 まずは私の気持ち、そして考えをスティーブに伝えた。彼はよく理解して快諾してくれた。その上で毎週時間をとって自分のバックグラウンドを皮切りに、陶芸に関する熱い思いなどを話してくれた。それを全て録音し、帰宅後何度も聞く。それをイギリス人の知人に文字起こしをしてもらった。


 こうして大量のインタビューを文字起こしした資料や、作品、そして本を制作するための作品販売の許可をスティーブからもらって、日本に帰国したのは2012年2月のことであった。




●V&A ルーシー・リー工房の復元



●最初の「作品」としての購入に至ったStill Life