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2020.12.31
2020-2021 読書のススメ
皆様いかがお過ごしですか?
短かったような長かったような、不思議な一年が過ぎ去ろうとしています。
冬らしいきりりと冷えた大晦日となりました。
そして、いつもより静かな年末年始になりそうです。
綺談、とは巧みに作られた面白い話の意味。
最近読んだ本、過去に読み、折りに触れ読み返している本、お正月に楽しみたい本。
偶然、タイトルにそれぞれ「綺談/奇談」が入っていました。
過去に読んで好きだった本は、梨木香歩さんの「家守綺談」。
きっとお読みになった方も多いことでしょう。
今から100年前が時代設定になっています。高堂という友人から庭、池付きの二階屋を借り受けた綿貫征四郎さんと、その家との伸びやかな交歓の記録です。
日本人の精神に潜む原風景を切り取った素敵な小品。それぞれの物がたりにつくタイトルにもしびれます。
わたしのように植物に無知な人間はいちいち調べてしまいます。
二冊目は、最近読んでとても心に響いた本。
フランスの誇る女流作家、マルグリット・ユルスナール作「東方綺談」。
9つの短編が収まったこれまた小さな本ですが、想像力を掻き立てられる大きな広がりを持った本。
さすが、ユルスナールです。
ユルスナールは読んだことがなくても、須賀敦子さんの名著のタイトルにある「ユルスナールの靴」はお読みになった方もいるのでは?
なぜ、ふと読みたくなったのかは今は覚えていないのですが、とにかく最近この本を手に入れて、数少ない外出時や、午後のゆったりした時間に、一編ずつ読みました。
詩人の多田智満子さんの翻訳が素晴らしく、表現の美しさにうっとりします。
中でも、最初の一編、「老絵師の行方」が素晴らしいのです。
実はこのお話のラストシーンを読んで、あ!!!!と発見がありました。
「家守綺談」で、高堂さんがやってきたのが、老絵師と真逆の方向。
あまり詳しく書くと、物語の筋にさしさわりがあるので、ここまでにしておきます。
ご興味を持たれた方は、この二冊、ぜひ読み比べてみてください。
読書の醍醐味の一つです。
最後は、途中まで読み進めている本、杉本博司の「江之浦綺談」です。
これは杉本の、小田原文化財団 江之浦測候所がどのような経緯でオープンに至ったのかを、土地に出会うところから詳しく書き留められた備忘録です。
まだ最初の数章しか読んではいないのですが、すでに根津美術館から移築された名月門のくだりなど、ほおっとため息をつかせられる舞台設定。
まさに「綺談」です。
このまま大いなるドラマをはらみながら施設オープンに至る因縁噺が44収められているこの本、まさにお正月に読みすすめるのにふさわしい気がしています。
とはいえ、はお正月から読み始めたい本を、もう一冊購入しています。
これは、「綺談」というタイトルはついてはいないものの、中身はまさに「綺談」。
ロマン主義の英文学研究で名高いイタリア人学者マリオ・プラーツのLA CASA DELLA VITA 「生の館」(直訳だと「人生の家」)です。
帯に書かれているのは
「室内は記憶の森 収集は世界の構築 人を「もの」以上に愛することはできるのか。博学が自宅の部屋をめぐって時代と人生を語る、類を見ない20世紀イタリア文学」
どうです?買わずにはいられませんよね?
実は原書は、その昔英語で買ってあったのですが、今回めでたく翻訳本が出たので、まあちょっとお高かったのですが翻訳の労力に敬意を評し、目をつぶって購入しました。全部で600ペイジを超える大著です。
マリオ・プラーツが晩年を過ごした邸宅は、現在「マリオ・プラーツ美術館」として公開されています。(イタリア・ローマ)
私はまだ行っていないので、状況が落ち着いたらぜひとも行ってみたいと思っています。
それまでは本で楽しむとしましょう。
ということで2020-2021年にかけて楽しみたい本のご紹介で、今年のブログを締めたいと思います。
来年は、現在拙ギャラリーで取り扱っている英陶芸家、スティーブ・ハリソンとの馴れ初めなんかも書いていきたいなと思いますので、皆様、来年もお付き合いの程よろしくお願いいたします。
それでは皆様、良いお年を!
2020.12.03
[Event report] フリーマーケットMONOTERASU0




2020.11.25
「桃山ー天下人の100年」展に思う
今年はコロナ、コロナで明け暮れた年になりました。
最初は、3月中には収まっていくのかな、と思いきやその後、緊急事態宣言で不要不急の外出を避けねばならない事態に陥り、そして夏が来て。。
秋。
徐々に物事は落ち着いた方向にいくのだろうか、と少し安心していたら、このところまた第三波ということで感染者数や重症者数が増えています。
政府の消費感化プロジェクト、GO TOも、場所によっては制限がかかり始めています。
コロナ対策として、予約制をとる美術館も増えてきました。
なにやら前置きが長くなってしまったのですが、3連休の最終日、午後3時半に予約をとって東京国立博物館平成館で11/29まで開催中の「桃山ー天下人の100年」展を見に行ってきました。
この展覧会、世が世なら大ヒットしていたはずの特別展であったと思います。
桃山、といえば織田信長であり、豊臣秀吉であり、徳川家康の、日本人ならほぼ全員知っている3大スターの時代であり、そして千利休が独自の茶の湯を確立した時代でもあります。
とにかく華やかな時代をメインにした展覧会です。
図録に見る並々ならぬ充実さにも、それは伺えています。
しかし、今はまた外出を自粛するムードになってしまいました。
そして予約、というのもなんとなく面倒な感じがあるのでしょうか。
そんなわけで、この祝日(11/23)、この充実した展覧会、会場内は実に空いておりました。
見る側の立場で言えば、こんなにゆっくり拝見できて、本当に落ち着いて鑑賞することができ、これほどありがたいことはありません。(気になる作品を、戻ってまたみることすら可能)
前回さんざん待ってやっと入館したら、もっと中が混んでいて、大変な思いをした「正倉院特別展」とは比較にならないほど、ゆっくりできました。
(ですから鑑賞後に全く疲労感がありません。やはり人で込み合った空間に身を置くことは疲労と同意語なのだ、と実感です。)
桃山、とは政治史的には室町幕府滅亡(1573)から江戸幕府開府(1603)までの30年間のことを指しますが、文化的な見地からすると室町後期から江戸時代初期(1624-1644)までの100年間が桃山文化時代と呼ばれるようです。
この間、
*織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が台頭→武具、刀、衣装などの装飾
*絵画は狩野永徳ー三楽ー探幽を中心とする狩野派、土佐派、長谷川等伯、海北友松、岩佐又兵衛の活躍
*千利休の登場、独自の茶の湯の確立ーその精神は古田織部に引き継がれる
*西洋文化との邂逅ー漆器などの輸出
などなど、歴史に残る多くの事象が発生したわけです。
本当にあらためて、すごい時代であったのだなと感心します。
イタリアではルネッサンス期に、多くの天才が輩出されましたが、桃山時代ってのは、ある意味日本のルネサンス期であったのかもしれません。 ちょうど時代も一部かぶっていますしね。(イタリア・ルネサンス期は14-16世紀)
(画像:茶室にて御本茶碗を扱う WANDEL)
私自身が一番興味深く鑑賞したのは、やはり茶の湯、桃山茶陶の開花のコーナーでした。
面白いのが、桃山時代には、唐物茶陶(中国からの器)が姿を消した、ということ。
室町時代、足利義政があれほどまでに珍重した完璧なまでの龍泉窯の青磁、景徳鎮の白磁の器が、桃山では茶の器として全くとりあげられていないのです。
なぜか?
それは新しい桃山という時代の「侘び茶の美学」に沿わなかったから。
そしてその「侘び茶の美学」を確立したのは誰だったのか?
千利休です。
彼は、権威や伝統のある由緒正しき茶道具を用いるより、身近のものを「みたて」て道具として使い、そして自らの心にかなった器を作り出しました。
それが長次郎の黒茶碗であり、その後楽茶碗として、現在にも連綿と連なっていく手びねりの茶碗となっていきました。
中国からの完璧な茶碗は使われなくなりましたが、その代わりに朝鮮で雑器として使われていた井戸茶碗の類が珍重されることになります。
利休の精神を汲みながら、真逆のアウトプットをしたのが古田織部です。
織部も独自のうつわを作り出しました。
華やかな織部焼き、歪んだり、凹んだりしている「へうげ」なうつわです。
(へうげものーひょうげている、面白い、の意味)
一見、利休と織部は真逆の表現をしているようでありながら、各々の独自の茶の道を切り開いたという意味では二人の価値は同じであったのではないでしょうか。(もちろん利休と織部は師弟関係だったので、織部は利休から体得したものが大きかったとは思います。)
唐物から、国焼きものへ。
美濃、備前、信楽、伊賀。
時代の変わり目にダイナミックな価値観の変化が出てきて、それが洗練されていく。
そして数百年後にもベースの形は変えないまま、その新しい伝統が、私達にも継承されてきました。
桃山時代の文化的パラダイムシフトを目の当たりにして、私達は数百年後に何を残していけるのだろうか、としみじみ思います。
未来からみた私達の時代はどのような評価を受けていくのだろうか、と。
これからの私達の課題ですね。
(画像 茶室にて WANDEL)
2020.08.31
海辺の光景
まだまだ残暑も厳しく、とても明日から9月とは思えません。
13年ぶりの日本の夏でした。
2020の夏は不思議な体験として、来年思い出すことになるのでしょうか。
人間は右往左往するものの、自然は変わらず。
2020年の夏も終わっていきますね。





2020.07.06
歴史の裏側
最近、日曜の9時からの連続シリーズNHKスペシャル『戦国』を楽しみに見ています。
天下太平の徳川の世になるまで、おおよそ150年間は、戦国時代。
侍たちが戦っていた時代だったわけですが、この戦いは日本国内で行われていたものの、実はグローバルな戦いでもあったのですね。
当時、ヨーロッパの覇者であったスペインと、商業に特化した新興国・オランダが互いに武器を供与することによって日本の懐にがっつりと入り込んで戦いに間接的に参加していました。
日本の状況を本国に正確に報告していたのが、スペインは宣教師であり、オランダは商人であったわけです。
ですから、この時代の宣教師ってのは、キリスト教の布教とともに諜報活動の任務も担っていました。
最近になって、オランダでの古文書の研究が進むにつれ、日本の果たした役割が殊の外大きかったことなどもわかってきているそうです。
佐渡島をはじめとして、各地の銀山から採掘された銀の量が、ヨーロッパの植民地から取れるそれを上回る勢いであったこと、そしてヨーロッパの大砲に日本の銅が使用されていたことなど、かなり驚愕の事実が出てきています。
日本の銀は、銀貨になり、銅は大砲などの武器に使われました。
そして、徳川家が世を制した後、失業した侍たちが、そのスキルを見込まれてオランダ側に、傭兵として雇われて東南アジアに出稼ぎに出向くことに。
なんと日本は銀や銅だけでなく、人材の輸出もやっていたのか!
これは驚きです。
しかも、この後、グローバルになるかと思いきや、日本は1637年に起きた島原の乱をきっかけとして1639年から鎖国します。
これは、インドネシアやフィリピンのように、結局攻め込まれ、オランダに植民地化されてしまったまわりの国のことを考えるとよかったのかもしれません。
私たちは、日本史の授業で関ヶ原の戦いや大坂冬の陣、夏の陣を経て、徳川家康が豊臣家を滅亡し、完全なる勝利者となった、と習いました。
その勝利に大きく寄与したのが、こうしたヨーロッパからの武器の供与だったこと、その後、傭兵化した侍たちがいたことなどは全く習いませんでした。
勢力を握った後、徳川家はオランダ商人と取引をしつつ、日本の中での地位を確固たるものとしていったわけですね。
このような事実は長い間、歴史の裏側にひっそり沈んでいました。
**************************************************
これまたNHKの番組なのですが、子供の時に大好きで見ていたのが、世界各地の失われた古代文明遺跡を巡る壮大な番組『未来への遺産』(1973-1974)です。
この番組は強く脳裏に焼き付いています。
それが証拠に、いまだに、マチュピチュ、シリアのパルミュラ神殿(悲しいことに、ISによって破壊)、インダス文明、オルメカ文明などに強烈に憧れ続けています。
今では失われてしまった文明に強く心惹かれます。
ある骨董屋さんの書いた本の中の話の一つ。
それは、主人公である骨董業者が、インドネシアのさる島に買い付けに行った際の出来事。
インドネシア、サンヘギ島を中心とした諸島はパウダーアイランドと呼ばれています。
このパウダーアイランドに属する小さな火山島、ブキデ島がこの話の中心地。ブキデ島と言っても、ジャカルタからの交通の便は途方もなく悪く、特産物もないのでインドネシア人達ですら、この島の存在を知りません。
ところが、このブキデ島はオランダ植民地時代には近くの島々で栽培された香料の集積地だったのです。
当時はオランダ風の家も立ち並び、島は栄えていたのだと言います。
しかし、インドネシア独立後は、島の香料ビジネスも縮小し、ブキデ島は、また香料栽培以前の静かな生活に戻ったのでした。
主人公の骨董屋は、この島にオランダ植民地時代の宝物が残っているらしいといの噂を聞きつけ、苦労してこの島にたどり着き、島の島主からオランダ東インド株式会社時代のカトラリーや、VOCマーク入りの伊万里などを買い付けることに成功します。
その際、島主から見せられた宝物の中に、大きな水晶の六面体の塊が混じっていました。しかもその根本に象形文字のようなものが刻まれています。
主人公は、ブキデの地層には、このような水晶は産出しないはずだと思い、島主に出どころを聞いてみました。
島主も「古くから伝わったもので、どこから来たかはわかりません」と言います。
言い値が高かったのと、同伴したインドネシア人がケチをつけたため、主人公はこの水晶は買わずに島を後にしました。
ジャカルタに戻って、街の骨董屋とよもやま話をした際、その水晶の話をしたところ、主人公は「それは大変なものを買い逃したかもしれない」と言われ、衝撃を受けます。
ブキデには、紀元前に航海術に長けた南インドから人々が移住して来た、つまりインダス文明との繋がりがあるのではないか、と言うのです。
しかもインダス川下流域には、ドーラビーラと言う古代都市があり、文字も持っていたのだ、と。
ブキデの人々の風貌(エジプト壁画のハム族のような雰囲気、赤毛、彫りの深い顔立ち)はドーラビーラの人たちとの共通項がある、と。
主人公は、今更ながらに地団駄を踏みますが、仕方ありません。
ブキデは簡単に再訪できるような場所ではないのです。
ところが、ジャカルタの骨董屋が後日、ブキデへ出かけていき、交渉の末この古代文字が刻まれた水晶を手に入れたことがわかりました。
主人公が、その水晶を再度、見せてくれ、と頼んでもその街の骨董屋は見せてくれません。
それどころか日に日に寡黙になり、まるでインダス文明に取り込まれてしまったかのようです。
主人公はこの話をこう締めくくります。
こんな風に歴史の扉が開こうとする直前、再びしまってしまうような出来事が骨董世界では時々あることだ、不思議な経験をした、と。
開きかかった歴史の扉が、再びしまり、後には沈黙が残されたのです。
歴史とは浪漫ですね。
画像)古代ガラス、翡翠飾り玉、蜻蛉玉
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