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2020.11.25

「桃山ー天下人の100年」展に思う

気づけば2020年、11月もそろそろ終盤。もうすぐ12月、そして2020年が終わっていきます。

今年はコロナ、コロナで明け暮れた年になりました。

最初は、3月中には収まっていくのかな、と思いきやその後、緊急事態宣言で不要不急の外出を避けねばならない事態に陥り、そして夏が来て。。

秋。

徐々に物事は落ち着いた方向にいくのだろうか、と少し安心していたら、このところまた第三波ということで感染者数や重症者数が増えています。

政府の消費感化プロジェクト、GO TOも、場所によっては制限がかかり始めています。

コロナ対策として、予約制をとる美術館も増えてきました。

なにやら前置きが長くなってしまったのですが、3連休の最終日、午後3時半に予約をとって東京国立博物館平成館で11/29まで開催中の「桃山ー天下人の100年」展を見に行ってきました。

この展覧会、世が世なら大ヒットしていたはずの特別展であったと思います。

桃山、といえば織田信長であり、豊臣秀吉であり、徳川家康の、日本人ならほぼ全員知っている3大スターの時代であり、そして千利休が独自の茶の湯を確立した時代でもあります。

とにかく華やかな時代をメインにした展覧会です。

図録に見る並々ならぬ充実さにも、それは伺えています。

しかし、今はまた外出を自粛するムードになってしまいました。

そして予約、というのもなんとなく面倒な感じがあるのでしょうか。

そんなわけで、この祝日(11/23)、この充実した展覧会、会場内は実に空いておりました。

見る側の立場で言えば、こんなにゆっくり拝見できて、本当に落ち着いて鑑賞することができ、これほどありがたいことはありません。(気になる作品を、戻ってまたみることすら可能)

前回さんざん待ってやっと入館したら、もっと中が混んでいて、大変な思いをした「正倉院特別展」とは比較にならないほど、ゆっくりできました。

(ですから鑑賞後に全く疲労感がありません。やはり人で込み合った空間に身を置くことは疲労と同意語なのだ、と実感です。)

桃山、とは政治史的には室町幕府滅亡(1573)から江戸幕府開府(1603)までの30年間のことを指しますが、文化的な見地からすると室町後期から江戸時代初期(1624-1644)までの100年間が桃山文化時代と呼ばれるようです。

この間、

*織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が台頭→武具、刀、衣装などの装飾

*絵画は狩野永徳ー三楽ー探幽を中心とする狩野派、土佐派、長谷川等伯、海北友松、岩佐又兵衛の活躍

*千利休の登場、独自の茶の湯の確立ーその精神は古田織部に引き継がれる

*西洋文化との邂逅ー漆器などの輸出

などなど、歴史に残る多くの事象が発生したわけです。

本当にあらためて、すごい時代であったのだなと感心します。

イタリアではルネッサンス期に、多くの天才が輩出されましたが、桃山時代ってのは、ある意味日本のルネサンス期であったのかもしれません。 ちょうど時代も一部かぶっていますしね。(イタリア・ルネサンス期は14-16世紀)

(画像:茶室にて御本茶碗を扱う WANDEL)

私自身が一番興味深く鑑賞したのは、やはり茶の湯、桃山茶陶の開花のコーナーでした。

面白いのが、桃山時代には、唐物茶陶(中国からの器)が姿を消した、ということ。

室町時代、足利義政があれほどまでに珍重した完璧なまでの龍泉窯の青磁、景徳鎮の白磁の器が、桃山では茶の器として全くとりあげられていないのです。

なぜか?

それは新しい桃山という時代の「侘び茶の美学」に沿わなかったから。

そしてその「侘び茶の美学」を確立したのは誰だったのか?

千利休です。

彼は、権威や伝統のある由緒正しき茶道具を用いるより、身近のものを「みたて」て道具として使い、そして自らの心にかなった器を作り出しました。

それが長次郎の黒茶碗であり、その後楽茶碗として、現在にも連綿と連なっていく手びねりの茶碗となっていきました。

中国からの完璧な茶碗は使われなくなりましたが、その代わりに朝鮮で雑器として使われていた井戸茶碗の類が珍重されることになります。

利休の精神を汲みながら、真逆のアウトプットをしたのが古田織部です。

織部も独自のうつわを作り出しました。

華やかな織部焼き、歪んだり、凹んだりしている「へうげ」なうつわです。

(へうげものーひょうげている、面白い、の意味)

一見、利休と織部は真逆の表現をしているようでありながら、各々の独自の茶の道を切り開いたという意味では二人の価値は同じであったのではないでしょうか。(もちろん利休と織部は師弟関係だったので、織部は利休から体得したものが大きかったとは思います。)

唐物から、国焼きものへ。

美濃、備前、信楽、伊賀。

時代の変わり目にダイナミックな価値観の変化が出てきて、それが洗練されていく。

そして数百年後にもベースの形は変えないまま、その新しい伝統が、私達にも継承されてきました。

桃山時代の文化的パラダイムシフトを目の当たりにして、私達は数百年後に何を残していけるのだろうか、としみじみ思います。

未来からみた私達の時代はどのような評価を受けていくのだろうか、と。

これからの私達の課題ですね。

(画像 茶室にて WANDEL)

2020.08.31

海辺の光景

早くも今日で8月が終わります。

まだまだ残暑も厳しく、とても明日から9月とは思えません。

13年ぶりの日本の夏でした。

2020の夏は不思議な体験として、来年思い出すことになるのでしょうか。

人間は右往左往するものの、自然は変わらず。

2020年の夏も終わっていきますね。

2020.07.06

歴史の裏側

歴史を紐解いていくと、奇妙だったり興味を掻き立てられることがたくさんあります。

最近、日曜の9時からの連続シリーズNHKスペシャル『戦国』を楽しみに見ています。

天下太平の徳川の世になるまで、おおよそ150年間は、戦国時代。

侍たちが戦っていた時代だったわけですが、この戦いは日本国内で行われていたものの、実はグローバルな戦いでもあったのですね。

当時、ヨーロッパの覇者であったスペインと、商業に特化した新興国・オランダが互いに武器を供与することによって日本の懐にがっつりと入り込んで戦いに間接的に参加していました。

日本の状況を本国に正確に報告していたのが、スペインは宣教師であり、オランダは商人であったわけです。

ですから、この時代の宣教師ってのは、キリスト教の布教とともに諜報活動の任務も担っていました。

最近になって、オランダでの古文書の研究が進むにつれ、日本の果たした役割が殊の外大きかったことなどもわかってきているそうです。

佐渡島をはじめとして、各地の銀山から採掘された銀の量が、ヨーロッパの植民地から取れるそれを上回る勢いであったこと、そしてヨーロッパの大砲に日本の銅が使用されていたことなど、かなり驚愕の事実が出てきています。

日本の銀は、銀貨になり、銅は大砲などの武器に使われました。

そして、徳川家が世を制した後、失業した侍たちが、そのスキルを見込まれてオランダ側に、傭兵として雇われて東南アジアに出稼ぎに出向くことに。

なんと日本は銀や銅だけでなく、人材の輸出もやっていたのか!

これは驚きです。

しかも、この後、グローバルになるかと思いきや、日本は1637年に起きた島原の乱をきっかけとして1639年から鎖国します。

これは、インドネシアやフィリピンのように、結局攻め込まれ、オランダに植民地化されてしまったまわりの国のことを考えるとよかったのかもしれません。

私たちは、日本史の授業で関ヶ原の戦いや大坂冬の陣、夏の陣を経て、徳川家康が豊臣家を滅亡し、完全なる勝利者となった、と習いました。

その勝利に大きく寄与したのが、こうしたヨーロッパからの武器の供与だったこと、その後、傭兵化した侍たちがいたことなどは全く習いませんでした。

勢力を握った後、徳川家はオランダ商人と取引をしつつ、日本の中での地位を確固たるものとしていったわけですね。

このような事実は長い間、歴史の裏側にひっそり沈んでいました。

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これまたNHKの番組なのですが、子供の時に大好きで見ていたのが、世界各地の失われた古代文明遺跡を巡る壮大な番組『未来への遺産』(1973-1974)です。

この番組は強く脳裏に焼き付いています。

それが証拠に、いまだに、マチュピチュ、シリアのパルミュラ神殿(悲しいことに、ISによって破壊)、インダス文明、オルメカ文明などに強烈に憧れ続けています。

今では失われてしまった文明に強く心惹かれます。

ある骨董屋さんの書いた本の中の話の一つ。

それは、主人公である骨董業者が、インドネシアのさる島に買い付けに行った際の出来事。

インドネシア、サンヘギ島を中心とした諸島はパウダーアイランドと呼ばれています。

このパウダーアイランドに属する小さな火山島、ブキデ島がこの話の中心地。ブキデ島と言っても、ジャカルタからの交通の便は途方もなく悪く、特産物もないのでインドネシア人達ですら、この島の存在を知りません。

ところが、このブキデ島はオランダ植民地時代には近くの島々で栽培された香料の集積地だったのです。

当時はオランダ風の家も立ち並び、島は栄えていたのだと言います。

しかし、インドネシア独立後は、島の香料ビジネスも縮小し、ブキデ島は、また香料栽培以前の静かな生活に戻ったのでした。

主人公の骨董屋は、この島にオランダ植民地時代の宝物が残っているらしいといの噂を聞きつけ、苦労してこの島にたどり着き、島の島主からオランダ東インド株式会社時代のカトラリーや、VOCマーク入りの伊万里などを買い付けることに成功します。

その際、島主から見せられた宝物の中に、大きな水晶の六面体の塊が混じっていました。しかもその根本に象形文字のようなものが刻まれています。

主人公は、ブキデの地層には、このような水晶は産出しないはずだと思い、島主に出どころを聞いてみました。

島主も「古くから伝わったもので、どこから来たかはわかりません」と言います。

言い値が高かったのと、同伴したインドネシア人がケチをつけたため、主人公はこの水晶は買わずに島を後にしました。

ジャカルタに戻って、街の骨董屋とよもやま話をした際、その水晶の話をしたところ、主人公は「それは大変なものを買い逃したかもしれない」と言われ、衝撃を受けます。

ブキデには、紀元前に航海術に長けた南インドから人々が移住して来た、つまりインダス文明との繋がりがあるのではないか、と言うのです。

しかもインダス川下流域には、ドーラビーラと言う古代都市があり、文字も持っていたのだ、と。

ブキデの人々の風貌(エジプト壁画のハム族のような雰囲気、赤毛、彫りの深い顔立ち)はドーラビーラの人たちとの共通項がある、と。

主人公は、今更ながらに地団駄を踏みますが、仕方ありません。

ブキデは簡単に再訪できるような場所ではないのです。

ところが、ジャカルタの骨董屋が後日、ブキデへ出かけていき、交渉の末この古代文字が刻まれた水晶を手に入れたことがわかりました。

主人公が、その水晶を再度、見せてくれ、と頼んでもその街の骨董屋は見せてくれません。

それどころか日に日に寡黙になり、まるでインダス文明に取り込まれてしまったかのようです。

主人公はこの話をこう締めくくります。

こんな風に歴史の扉が開こうとする直前、再びしまってしまうような出来事が骨董世界では時々あることだ、不思議な経験をした、と。

開きかかった歴史の扉が、再びしまり、後には沈黙が残されたのです。

歴史とは浪漫ですね。

画像)古代ガラス、翡翠飾り玉、蜻蛉玉

2020.04.30

皆さま、お元気ですか?

4月も今日で最終日。

明日からは5月。ゴールデンウィークです。

しかし今年は、3月後半くらいからコロナウイルスの影響でとにかくありとあらゆる世間の活動はストップ、もしくはかなりの減速状態になり、そして4月7日に緊急事態宣言が出てからは、本格的に自粛生活がスタートしました。

私も4月上旬のイギリス行きは、キャンセルになりました。

このキャンセルも、かなりギリギリまでは「もしかして行けるかも」という望みを捨てきれず、毎日航空会社のオフィシャルサイトとエアチケットを予約した会社のサイトをチェックしておりました。

でも、あれよあれよという間にヨーロッパが大変な状況になり、ロンドンもロックダウン(封鎖)になったのが3月の末。

これで流石に航空会社からオフィシャルに予約した便がキャンセルになったのでした。

世界が大変な状況になり、日本はヨーロッパのような政府主導のロックダウンということではないものの、ほとんどそれと同じ精神的拘束の意味を持つ自粛生活が始まり、はや1ヶ月。

さて、皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

さ、家でのんびり自由に過ごしてください、ただし出かけないでね、という制約の下、最初のうちは自分でも意外なほど、気持ちがジタバタしてしまい、 何をやってもどうも心ここに在らず、の状態が2週間くらい続いた気がします。

落ち着かないうちは読書をしても集中できず、むしろ料理をした方がずっと精神的に良いことも発見でした。無心になって刻んだり煮たり焼いたりした素材が、最終的に形になっていった達成感からなのでしょう。

コロナ情報を得ようとして、メディアに浸るのはある意味危険なことで、あやふやな情報に心が支配されてしまうことがありました。

最初の気持ちの浮き沈みが落ち着いた段階で、友人からSNSでのブックカバーチャレンジというバトンが回ってきました。

それは、読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、好きな本を1日1冊選び、本についての説明はナシで表紙画像をFacebookへ7日間アップを続ける。その際毎日1人のFB友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする。というもの。

面白そうだし、友達は招待してもしなくてもいい、ということなので、バトンは2人に回し、あとはパスして本のカバーの紹介だけすることに。

ちなみに、7冊は、「心を旅させる」ことができることをテーマに選んでみました。

今でも毎年読み直してしまう須賀敦子さんの処女作で名作、『ミラノ 霧の風景』

この本は、偶然にも私がイタリア留学から日本に戻ってきた秋に発売された本。その個人的な事情もあり、大変思い出深い本。

何と言っても格調高く、品にあふれた須賀さんが語るイタリアの物語に、心を揺さぶられます。

アッサンブラージュの迷宮に入り込んでしまう喜びを味わえる『コーネルの箱』『Study in green 緑色の研究』

ジョセフ・コーネル、そして拙ギャラリーでも扱っている勝本みつるさんの夢の世界。

自然に物語が紡がれていきます。

芸術の真髄に関して深く考えさせられる『月と六ペンス』

サマセット・モームの名作。今回、金原端人さんによって、大変読みやすく、時代に合った訳に生まれ変わっています。

この作品で、モーム自身にも興味を持ち、彼の他の作品も沢山読んでみました。

はっちゃけたアメリカのおてんば娘の壮大な人生物語を聞かされるような『掃除婦のための手引き書』

ルシア・ベルリンという表紙にもなっている気の強そうな美人さんの作品。彼女はもう亡くなっていますが、最近この作品によって見直されています。

ルシアの人生を万華鏡のように眺められる短編小説集です。これも翻訳家の岸本佐知子さんの訳が素晴らしい。

読んでいない方のためにあまり紹介しない方が良いのですが、私は、アル中のルシアが、夜明けになけなしの小銭を集めてアルコールを買いに行きつつ、 帰宅後はシャワーを浴びて、子供のために朝ごはんを準備するという矛盾に満ち満ちた短編が好きです。

そして最後はものに魅入られた人、ものとの真剣勝負をする人の運命物語り『ウッツ男爵』『骨董裏おもて』の2冊。

『ウッツ男爵』の作者はなんと『パタゴニア』の著で有名なブルース・チャトウィンです。主人公のウッツ男爵は、チェコ人でマイセンのコレクター。

『骨董裏おもて』は、壺中居オーナーで、コレクターでもある広田不狐斎。

純粋なコレクターであるウッツ男爵と、コレクターでもあり、売り手でもある広田さんの比較として読んでも楽しいのですが、『ウッツ男爵』のラストシーンに驚いて欲しいです。

『骨董裏おもて』からは、ものを介することによってのみ成立する人間関係が実に面白く、勉強にもなります。

それにしても、コレクターという人種はなぜにかように個性的なのでしょう。。

7冊の本、舞台は、イタリア、アメリカ、ドイツ、フランス、日本と西から東からといろいろですが、心は旅できること間違いなしの良書です。

そんなわけで、弾みがついた私の読書熱、今、面白く読んでいるのがボッカチオの『デカメロン』です。

これがまた15世紀に書かれたものなのですが舞台は、現在我々が置かれた状況にあまりにも重なります。

ベストを逃れ、フィレンツエ郊外に逃れた貴族の男女が、一人一つずつのお話を毎晩していく、100物語。

前書きに書かれたペストに襲われ、右往左往する市中の様子が、既視感を思わせます。

100物語の内容も、500年経っても人間のやることは変わらないのだなー。。としみじみ思うのです。

思わずクスリ、と笑ってしまうような話もあります。少し怖い話もあります。人間の性について考えさせられます。

ボッカチオと並行して読んでいるのが、イギリスの芥川賞的な、ブッカー賞を二度も受賞したヒラリー・マンテルの描いたトマス・クロムウェルの物語です。トマス・クロムウェルは、ヘンリー8世の下で活躍した法律家、政治家です。彼は鍛冶屋の息子で貴族ではなく、本来、出世など考えられる身分ではありません。しかし、クロムウェルは、外国に行き数カ国語を操り、傭兵になったり、商売をしたりして経験を積みイングランドに戻ってきます。

そこで、ヘンリー8世の右腕であったウルジー枢機卿のもとで働くことになり、メキメキ頭角を現します。

ところが、その後ウルジーは失脚。クロムウェルは、ウルジーの死去直前まで、なんとか彼を救おうとヘンリー8世に嘆願し続けます。

ウルジー死去後は、ヘンリー8世の枢密院のメンバーに取り上げられ、宗教改革や、ヘンリー8世の離婚・再婚問題に着手して行きます。

ヒラリー・マンテルの『ウルフホール』では、そのクロムウェルの視点からみた、ヘンリー8世がキャサリンと離婚し、アン・ブーリンと再婚し、ライバルのトマス・モアの処刑で終わります。

史実では、クロムウェルもその数年後にはヘンリー8世の寵愛を失い、斬首されます。

この本を読もうと思ったきっかけは、イギリスの知人からのオススメだったのですが、今読むことにしたのは、今と全く異なる時代の物語を読んで、心の旅をしようと思ったからに他なりません。

その目的は十分、達成されました!恐ろしい時代です。その恐ろしさは、個人の幸せに、政治、特に信仰が大きく関わってきていること。同じキリスト教徒であっても、カトリックなのか、ピューリタンなのかで異教徒狩りをし、互いに死に追いやる。そして信仰と政治が直結しているのです。

大評判になったこの小説は、BBCが『ウルフホール』としてドラマ化もしています。

この時代は、王様の寵愛一つで運命が反転し、昇っていったかと思うと、その同じ王の気まぐれで、地の底まで叩きつけられます。

気の休まるときがありません。

アン・ブーリンは野心を持ちすぎ、斬首され、それを暗い目で見届けるクロムウェルのアップでドラマは終わります。

今回は、本を途中まで読んで(上下巻の2冊)BBCドラマを見て、また本に戻っています。

心は16世紀のイングランドへ、策略、陰謀に満ち満ちた暗黒のヨーロッパに飛んでいます。

『ウルフホール』とは、ヘンリー8世の3番目の妻、ジェーン・シーモアの実家の呼び名なのですが、「人間は人間にとって狼である」ということわざをも思わせますね。

ということで、この思わぬできた自由な時間の間、私はどんどん本を読み、色々な時代、国に心を旅させようと思っています。

それと同時に my inventory checkをしようという大きな目標を持ちました。

inventory checkというのはイギリスで家具付きの住宅を借りる場合、入居前に部屋の状態をチェックし、それを退去時に擦り合わせるというシステム。

私がここで意味して居るのは、自分の持ち物に関して、ちゃんとチェックしておこうということです。

断捨離とはまた違います。むしろ、ここらで「人生の棚卸し」をしておこうかな、くらいの意味合いです。

ゴールデンウィークは読書、料理、時々散歩、そしてmy inventory checkで健やかに過ごしていけそうです。

皆様も、今、どのような時間を過ごされていますか?

また再会できる日が来るまで、心を旅させ、引き出しをたくさん増やしていきたいですね。

それまで皆さま、くれぐれもお身体ご自愛ください。

2020.03.27

金継ぎ展

いつも大変お世話になっている、世田谷工房主宰 赤平一枝先生主催の金継ぎ展が、今年8年ぶりにギャラリー櫟で開催されました。

とはいえ、このご時世ですから、表看板など一切なし、ワークショップを欠席される方もいらっしゃいました。

しかし、なんとか無事に会期を終えられて、本当によかったと思います。(会期3/21-24までの4日間、時間も11:00-17:00まで)

私は,会期中、二度ほどお邪魔して来たのですが、赤平先生直しの新羅時代の壺(ポスターになっている作品)や、生徒さんたちの素晴らしい作品の数々など、とても楽しく鑑賞させていただきました。

錆びついた茶釜に漆をかけて焼き付けたものや、鼈甲の茶杓に黒漆をかけて金で継いだものなど、『金継ぎ』のイメージするところを超えた作品も多く出展されていたのも、今回の特色だったのかもしれません。

こちらも勉強になりました。

次回も楽しみです。

作業中の写真は、ギャラリー久我の画像をお願いしているTomoko Osadaさんでこちらも見応えのある、素晴らしい作品でした。

ポスターになっているのが赤平先生直しの新羅時代の壺

ゆったりした会場です。

見えにくいのですが、鼈甲のお茶杓に中漆の茶釜。

茶入れの象牙の蓋も直しが入っています。

棗は、蒔絵も習っている生徒さんが木地から作ったもの。

茶杓の蒔絵は赤平先生、片側だけ漆をかけています。

Tomoko Osadaさんの職人技とセンスのひかる写真の数々