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2024.12.31
2024 memory 京都
◆A LITTLE PLACEでのブックイベントの様子です。大変歴史のある日本家屋で開催されたブックイベントは、東京とはまた違ったしっとりした雰囲気の中、豊かな時間を皆様と共に過ごすことができました。(2024.5/16-5/19)



2024.12.31
2024 memory 東京・銀座
2024年
書籍Artbook「STEVE HARRISON」に関しては、ギャラリー以外の場所で皆様に大変お世話になりました。
素晴らしい方々との豊かな時間をご一緒できましたこと、心より御礼申し上げます。
◆森岡書店でのブックイベントがスタートでした。(2024. 4/16-4/21)
多くの皆様にご来店いただき、また海外のお客様も多く、学びの週となりました。



2024.05.09
連載Artbook「STEVE HARRISON」出版への歩み Chapter 6 気づきと決断

Chapter 6 気づきと決断
私が美味しい野菜を作っている農家だとする。
その野菜はオーガニックで生育環境にも気を使い、作るのには、大変手がかかる。
そんな美味しい野菜を作っていて、その野菜を美しく撮影してくれるカメラマンもいる。
となると、その野菜の良さを人々に認識してもらうために足りないのは何か?
その野菜を使って美味しい料理を作ってくれる料理人であろう。
スティーブの本を作りたい。
スティーブのモノづくりにおける思想や哲学、長年にわたる彼の考え方をずっと聞いてきたし、作品もいつか本のために、と長年にわたって買い集めてきた。特に、彼自身のコンセプトがはっきりしている「作品」は手に入れてきた。
その作品を美しく、しかも物語性をも切り取った撮影をしてくれるフォトグラファーにも出会えた。写真に一点一点収めて、それらをアーカイブデータとして整理もしてきた。
本作りに必要な素材は全て揃っている。
あと足りないのは、その全ての材料を使って料理をしてくれる料理人である。
料理人というのは、素材を組み合わせ、その方向性を指導し、見え方など全てに気を配る総支配人のような立ち位置なのではないだろうか?
書籍制作における料理人とは編集者のことである。
私は正しい料理人に出会わなくてはならない。
ここまで時が経つと、どんな料理人でも良いわけではない。
ある意味、その素材に合った1番の料理法を知っている人こそふさわしいのである。
つまり、うつわの本を作っているエキスパート編集者である必要は全くなく、むしろ一流のものづくりの現場を知っている人であればそれで良い。
というのも、私が思うに一流の人たちの考え方には共通項があるからだ。
今まで、書籍制作のための編集者に出会えて来なかった気がしていた。その編集者は編集ができれば誰でも良いというわけではない。
ただ闇雲に編集者を探していた頃よりも、ずっと「こういう編集者」に出会いたいという目標値は見定まってきたような気もしていた。
2019年、ギャラリーに一人の編集者がやってきた。彼女こそ、今回のスティーブ本の編集者である株式会社キミテラスの田中敏恵さんである。
彼女はその時庄野潤三のことを調べていて、たまたま私のブログを見て、ギャラリーに興味を持ち、足を運んでくれたのだそうだ。ギャラリー久我と田中邸がご近所だったことを感謝したい。
田中さんと、ギャラリーでよもやま話をしていたのだが、彼女がフリー編集者だと知ったので早速スティーブの本のことを話してみた。私は今まで「編集者」という仕事をしている方全てに、本を作りたい話をしてきた。
すると「作りましょうよ。出版社は○○社が良いのでは?」と言ってくれる。
私は「是非よろしくお願いします」と答えた。田中さんのいう出版社は聞いたことはあった気がした。もちろん、よろしくお願いしながらも、そうは簡単にいかないことは今までの経験からも多少は学んでいた。
その後、田中さんとスティーブ本の話をする機会は案の定、というかなくなってしまったのだが、これもよくある話なので、私も特に気にはしていなかった。しかしたまたま行きつけのビストロが同じだったり、田中さんとは波長があったので、折に触れ会ってランチをしたり、飲みに行ったりイベントに出かけたり、逆に、彼女がギャラリーの企画展を見にきてくれたりなどの、お付き合いは断続的に続いていた。
そして2022年。
3月31日のこと。蔦屋代官山店のカフェで私は田中敏恵さんと会って、とんでもない提案を受けた。
すなわち、Gallery Kuga レーベルを立ち上げて、その第一弾としてスティーブの本を制作しよう、というのである。
Gallery Kugaレーベルを立ち上げる?
これって出版社を立ち上げるということか?
そんな大それたことができるのか?
どれだけコストがかかるのか?
などなど頭はありとあらゆる疑問でいっぱいパンク寸前である。
自分で出版レーベルを立ち上げる、これは流石にいかなるオプションとしても考えたことはなかった。
田中さんは言う。ギャラリー久我の美意識に基づいた本を出せば良いのだ、と。その第一弾がスティーブの本なのだ、と。
自分で思う通りの本を作るか、出版社からの制限がついた本を出すのかの二択だよ、と。
出版社から出す本の制限というのは制作期間であり、スケジュールありきで逆算する制作方法であり、結果関わる人数も多くなるのだと。
自分で思う通りの本を少数精鋭のチームで作る!これには不安よりもワクワクする気持ちが当然ながら勝ってしまう。
私の中で、このチャンスを逃したらおそらく本を作る機会は巡ってこないだろう、という囁きも聞こえてきた。
そう、この提案が「チャンス」、と聞こえてきた時点で私の心は決まっていたのだ。
これは「やろう!」と。
つまり「自分で思う通りの本を自分の出版レーベルを立ち上げて作ろう!」と。
ただ流石に一度は持ち帰り、帰宅し再検討はしてみたが、気持ちは変わらず。田中敏恵さんに「よろしくお願いいたします」とご返信したのは翌日あたりだった。
かくして、私はようやくスティーブの本を作るスタート地点に立ったのである。

●立ち上げた出版レーベルロゴ Gallery Kuga Editorial
2024.04.13
連載 Artbook「STEVE HARRISON」出版への歩み Chapter 5 壁

Chapter 5 壁
ギャラリー久我でのスティーブの作品紹介は、順調に進み、作品への理解者も徐々に増えてきた。展示販売のご案内をすると駆けつけてくださるありがたい方々もいらっしゃる。
スティーブ自身も、意欲的なコンセプトのある作品を作り、自分の工房ではないロンドンの街中のギャラリーで、初めて作品展を開催した。(2015年Cupboard展)
私の、「スティーブの本を作りたい」という気持ちは変わりはなかったが、一体どのようにしたら本ができるものなのかがさっぱりわからない。
何と言っても私自身、本を制作したことなどないのだ。
本を作るとっかかりも得られない、という焦りは喉に刺さって取れない魚の小骨のようだ。時に、痛む。
とはいえ、帰国以来、私も私なりには努力はしていた。知り合いに声をかけ、出版会社で仕事をしている編集者を紹介してくれと頼んだり、ギャラリーに来るお客様にも「スティーブの本を作りたいのだ」と伝えたりもしてみた。
紹介してもらった編集者に見てもらうための企画書のようなものを作ったりもしてみた。
しかし、何をどうやっても実を結ばない。私自身はスティーブの力と将来性を確信しているのだが、それがうまく伝わらない。
悶々としながらも、打開策も解決策も思いつきはしなかった。
その頃、一人のスタイリストから連絡をもらい雑誌用にスティーブの作品を貸出することになった。メジャーな雑誌に掲載されるので、少し世界が広がるかもしれない、と密かに期待をかけた。そのスタイリストさんには、それ以降も何度か作品をお貸出することとなる。しかし、結果としては本作りのきっかけとはならなかった。
こうして数年が経っていくと、「本作り」は決して忘れたわけではないのだが、スティーブ作品の買付けやその販売も忙しくなり、しばらくそのプランは棚上げせざるを得なくなってしまった。
この頃、スティーブの買い付けは年間2−3度行っていた。ロンドンでステイーブに会うたび、本作りだけが残された宿題のようなものだ、とひしひしと感じることとなる。
スティーブが本作りのことを一才聞かないのも、それはそれで私にはプレッシャーとなった。何といっても本を作りたいから、とわざわざインタビューの時間を何時間も取ってもらったのだ。
高い高い壁を感じ、どうしたらその壁を登れるのか、もしくは壁に穴を開けられるのかがわからないまま時が過ぎていった。

●CUPBOARD展のスティーブ


●CUPBOARD展 54 THE GALLERYにて

●CUPBOARD展ポスター
2024.04.07
連載 Artbook「STEVE HARRISON」出版への歩み Chapter 4 ふたつの茶会

Chapter 4 ふたつの茶会
帰国後の2年間に亘る、西荻窪で開催したスティーブの作品展示販売。
そしていよいよ2014年からは世田谷の現ギャラリー久我に場所を移し、予約制という新たな形で展示販売を続けることとした。杉並区を離れたことで、お客さまがいらっしゃるかどうか甚だ心もとなかったのだが、ありがたいことに予約を入れてくださる方々がいらっしゃり、なんとか順調に進み出すことができた。
2014年、スティーブの再来日。
ちょうど、彼が我が家に滞在していただいたこともあり、お茶会を開催しようと思いたつ。
とても私的かつカジュアルなお茶会で、参加者は全部で7名ほど。場所は、我が家のプライベートスペースを使う。スティーブを入れて8名のお茶会である。
お茶会はスコーンや、何種類かのケーキを用意し、参加者にはそれぞれお気に入りのスティーブマグを持参していただくこととした。
スティーブがお茶を淹れてくれて(マリアージュフレール)、お茶をいただきながら歓談。その間スティーブにものづくりへの思いを聞く人があり、それにステイーブが真剣に回答する。和やかな中にも、真摯な想いが詰まった素敵な時間となった。
お茶会は盛況のうちに無事終了し、参加してくださった方々は皆さんとても喜んでくださった。

●お茶を入れるスティーブ


●お茶会の様子
イギリス風のお茶会を開催したのだから、今度は日本のお茶会も開催してみたくなってしまった。
そこには用意すべきしつらえがいくつか必要になってくる。
まずは軸と花である。
場所はギャラリー久我。
となると、全ては見立てで用意しなければならない。ギャラリー久我は和室ではないから、軸も色紙用の、サイズも小振のものを用意してみた。
いつ開催できるかはわからないが、その時のためにスティーブに墨で式紙に文字を書いてもらうことにした。
我が家滞在最後の晩に、色紙を書いてもらった。もちろんテーマとする「塩」だ。
おそらくスティーブにとっても本格的な書道は初体験だったに違いない。しばらく練習をして、そこから10枚ほどの色紙に「塩」と書いてもらった。それらを大切に茶会まで保存することとした。後に、まさかこの色紙を本に使うことになるとは、この時の私もスティーブも全く想像はしていない。

●書に挑戦するスティーブ
茶会は、2014年、12月7日に開催の運びとなった。
亭主は、私の友人である黒田宗雪さん。ちょうど裏千家の茶道師の資格を取ったタイミングで茶会のお願いをしたらご快諾いただけた。
基本、立札の見立ての茶会である。(*立礼ー茶道で椅子に腰掛けて行う手前。見立てー本来茶の湯の道具でなかったものを茶の湯の道具として見立てて茶の湯の世界に取り込む工夫。)
軸はスティーブが書いてくれた「塩」の色紙を使用。
花は、ステイーブのキャンドルホルダーを花器に見立て、そこに12月のエッセンスを取り入れたリースのような感じの花を、Nobilis主宰の白川さんに作っていただいた。

スティーブがStill Lifeで制作した古いオークの杢素材を使ったトレーを使って、盆手前でお茶を点ててもらうことにする。
メインの茶碗は、ステイーブがロンドンから持ってきてくれたストーンウェアの茶碗。
銘を時雨と名づけたものを使い、替茶碗を4椀使用。

●盆手前のしつらえ
立札とはいえ、スティーブ茶会として正式に会記も作ることとしたので、お客さまは茶会経験者を数名お呼びすることとした。
私も半東として入り、亭主の手伝いをする。
スティーブ茶会は、前回のイギリス風の茶会とはまた異なり、和やかな中にピリッと張り詰めた心地よい緊張感が漂っていた。

●記念の会記
この、世界観が異なるふたつの茶会を経験したことが、のちの本作りの中に生きてくるのだ、と今でこそ思う。当時はスティーブの持つうつわの可能性を自分の中で体感したいという気持ちが大きかった。
色々なシーンで使うことで、スティーブのうつわが持つ寛容性を経験したかったのだと思う。
こうして全ての体験は、一歩一歩知らないうちにスティーブの本作りへの布石となっていったのだ。
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