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ブログ

2017.09.29

作家が「もの」を世に出すということ

作家が「もの」を世に出すということ


暑い夏も峠を越え、ようやく秋。
気持ちがひと段落すると、落ち着いてものごとに取り組めるような気がいたします。
今日は作家が「もの」を作り、それを世に出すということについて、私の経験をお話ししてみようと思います。

拙ギャラリーで扱っておりますイギリス陶芸家、スティーブ・ハリソンは、通常の陶芸家があまりやりたがらない塩釉の焼きのみでしか作品を制作しませんし、且つ受注を取ることもありません。受注を取ると、納品にばかり頭がいってしまい、制作への自由な想像力を阻んでしまうからだそうです。


しかし、以前から私はスティーブに抹茶碗を作っていただきたいな、と願っておりました。
茶の湯とは日本の総合芸術であり、お茶をいただくその一瞬は、一期一会であると考えられています。
そのコンセプトが、スティーブのお茶を味わう一瞬は、非日常であり、心を合わせる/または整える瞬間であるとする考え方とほぼ同じなのではないかと思ったからでした。

日本の茶の湯における美意識というのもまた面白い一面があります。お作法はきちんと決まっており、流派によって使うお道具も違ったりする複雑性がありながら、一方で「見立て」という独自のものの見方により、その『型』に時に違うものを時折、入れ込んだりすることも可能です。

見立て、とは文字通り、それ用に作られたのではないものを見立てて、転用するということを言います。
その昔から、韓国では雑器として扱われていた井戸茶碗が日本では茶人によって、大変珍重され、茶会のメイン茶碗として使用されたなんてことも度々ありました。
ですからスティーブの茶碗があれば「見立て」で使えるなあ、なんて夢見ていたのです。

しかしながら、スティーブは前述した通り受注を受けない作家さん。
彼が作ろうと思ったものしか制作しません。
そのような作家さんに「もの」を作ってもらうにはたった一つ、興味を持って自発的に作りたいと思ってもらうことしかありません。

ということで、スティーブに日本の茶の湯を説明するところから始めました。
資料や本、または萩焼茶碗をプレゼントし、興味を持ってもらうことに努力し始めたのが、私がまだイギリス在住であった2010年頃の話です。


2012年の来日時には、五島美術館、三井記念美術館、根津美術館などに一緒に行き、実際の茶碗をガラス越しに見てもらったりもしました。千利休の考え、人生などもお話しました。

そして初めて「作ってみたんだけど」と茶碗ができてきたのが2014年くらいのことだったと思います。

勉強家のスティーブは、一回見てきたものを自分なりに咀嚼し、再考し、それから
ようやく制作に入りますが、その後もなんどもやり直し、というプロセスをたどるので制作にはとても時間がかかります。
しかもその間にまた他のアイディアの虜になり、そちらの方に夢中になってしまい、それまで手がけた作品の制作は休むこともあります。

かようにして、まず作家が刺激を受け、その刺激にまつわる資料を学び、目で見て、学び、実際制作に入り、そこでまた試行錯誤をし、長い時間の後でようやく「もの」が世に出て、人々の目に触れるわけです。

今年ようやく、少しまとまってスティーブ抹茶碗をお披露目できることになりました。本当に嬉しく思います。

余談になりますが、作家の後ろには、コンスタントにものづくりを応援する家族のサポートも欠かせません。
スティーブははっきりと、「家族に問題があると制作には集中できない」と言っています。
変わらず、穏やかで規則正しい生活も、もの作りには大切なエレメントなのです。

私たちが目にする「もの」の後ろには、時に長い物語が隠されています。