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2021.12.27

「線とかたち」を見る

2021年もあと数日で終わろうとしています。

皆様にとっては、今年はどんな年でしたか?

奇妙で過ぎ去るのが早かった2021年。

コロナ禍は今年も続きました。

12月に入って、また新規株が世間を騒がせています。

世界はこのままwith またはafterコロナの時代を迎えるのでしょうか?


今年二回目の企画展「線とかたち」展終了後、わたしなりに感じたことをブログに書いておこうと思っていたのに、気づけば1ヶ月以上が立ってしまいました。

展示後、あまり時間を置かぬまま二年ぶりに渡英。

帰国後は6日間の施設隔離も含めた2週間の隔離期間があり、ようやっと隔離期間を終えたら12月も半ばを過ぎておりました。

ということで、タイムラグはあるものの、わたしなりの「線とかたち」展に関する感想をまとめておきたいと思います。


今回、渡英した際、大英博物館をじっくり見てきました。

自分でも驚いたのが見え方に関する劇的な変化。

大英博物館の展示では、今回の「線とかたち」展に出品されていたものと同じような展示物にすうっと引き寄せられていきます。

簡単にいえば「追体験」

英語でいうと find-detectと言うらしいのです。

そうか、よく見るってことは、質の高い追体験ができて、しかもfind(発見)もあるのね、と思いました。




●アラバストロン

紀元前6−5世紀 キプロス


半透明のアラバスターという素材はギリシャでは採れない素材です。

ですからこの素材が採れるエジプトからキプロスへ輸出された可能性が高くなります。

エジプトで採れたアラバスターが輸出され、キプロスで加工されたか、またはエジプトですでにこの形に作られ、輸出されたかのいずれかということになります。

このような容器は香油や香料の保存や運搬に利用され、アラバスターの素材そのものの、「アラバストロン」と言う呼ばれ方をしました。

アラバストロンの所有はその持ち主が金銭的に高い地位にあったことを表明するものだったようです。

例えば遺体に香油を塗った後、あの世で使うための副葬品として、この高価な容器は中身ごと墓に納められたのだそう。

大英博物館では、アラバスター素材を持つことのできなかった人々のためにクレイ(粘土)で作られたアラバストロンも展示してありました。

アラバストロンには見せかけの把手がついていますが、これは単純に装飾のためなのでしょうか?

謎はつきません。




●新石器時代、石鏃 紀元前9000-5000年 モロッコ


新石器時代ですから、9000-5000年前です。

やじり、ですから矢の先に装着して用いる石器なのですが、この石鏃はモロッコから出土したもの。

しかも、きれいなものが集められているので、間違いなくコレクターが編集した石鏃セットのようです。

面白いことに、日本の同じ時代に同じ石鏃が生まれています。日本の場合は黒曜石が素材として使われていることが多いようです。

この石鏃セットには、古代の「線とかたち」を強く感じます。

9000年前だとすると、今から11000年前。

そんな古い人類の黎明期に作られた、実用の道具の中にある美しさ。

古代の「線とかたち」からみえてくる体感できる美しさがそこにあります。



素材も、宝石のような上質の石(コーネリアン、チャート)に緻密な加工が施されています。

*チャート 堆積岩の一種 緻密で硬い岩石





●帝政ローマ時代 純金の指輪 紀元1−2世紀


ようやく紀元後になりました。紀元1−2世紀の帝政ローマ時代の純金リングです。

この時代には24金というのは存在していなかったそうで、おそらく含有物が8%位入った22金くらいではなかろうかとのことです。

同じようなリングで3連にエジプト神イシス、ハルポクラテス、セラピスが刻まれたものが橋本コレクションで見ることができます。

*THE RINGS橋本コレクション 2014 国立西洋美術館 P118 NO 125


このリングに刻まれているのはイルカ。愛と平和の象徴です。

イルカがモチーフとして刻まれいているのは珍しいのだとか。

とても小さなリングですが、小指の第一と第二関節の間にピタッと収まります。

イルカはシール(印鑑)だったのかもしれません。

しかも女性のシールだったのかな?

このリングは面がいくつも作られていて、光が乱反射します。

シャープでエッジの効いた線がいくつも作られて、それがかたちとなっているので、まさに「線とかたち」を体現しているかのようなリングだなと思いました。

そしてそこにイルカ。

それほど緻密でなく、ゆるい絵付けですが、それがなんとなく現代とのつながりを感じさせてくれるようでもあります。




古代の「線」がつくった「かたち」。そこには古代の人々の生活にまつわる息遣いが感じられます。

古代の「かたち」、を通してこんなにも歴史が、色鮮やかにそして身近に感じられる経験は、実に貴重なものでした。

この得難い経験を、来年にもつないでいきたいと思います。

(私的な関連書籍がどっと増えそうな恐ろしい予感がします。。。)


最後に、出品者の毛涯達哉さんに心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

2021.10.29

「線とかたち」の立役者

いよいよ企画展「線と形」のオープニングが迫ってきました。

設営もほぼ終えて、後は細かい調整が残るのみ。

出品物の各々の美しさもさることながら、ここで、その美しさを引き立てる影の立役者について記載しておこうと思います。

影の立役者とは一体何のことを指すのか?

それは台座です。


今回、毛涯さんに展示をお願いすることの決め手の一つとなったと言ってもいいもの。

それは彼のセンスあふれる自作の台座でした。


台座というのはまったくもってばかにならないもの。

いわば絵に対する額縁のようなもので、額縁がよければ絵をぐっとひきたてることができるように、同じことが台座にも言えるのです。


考古美術品は立体です。

その立体はそのままでは扱いに困ってしまうでしょう。

そこに収まりの良い台座が来ることによって、はじめて我々はその考古品をゆっくり眺めたり、お気に入りの場所において愛でることができるようになるのです。

我々が生きるモダンライフに突然考古品がやってきても、なじませるための一手間がなければ、床に転がしておくわけにはいかないし、結局は箱に入れてしまいこみ、最後には購入したことでさえ忘れてしまう状況に陥らないとは限りません。


でも、どうでしょう?

もしそこに、考古品にぴったり台座があれば?

そう、それなら我々のデスクの上に置くことも可能、窓辺に置くこともできる、などなど急にオプションが無限大に広がるのです。


考古品を買い付けてくる本人が、それに合う台座を作るのですから、良いものができるに決まっています。

台座のついた考古品はますます輝きを増しています。


聞けば、毛涯さんも、最初から台座を自分で作っていたわけではないようです。

骨董業界に台座を作る職人さんは二人ほどしかいないため、お願いしてもいつ注文を受けてくれるかわからない状態だったので、自作を決意して今に至る、とおっしゃっていました。

しかも数を作っていくうちにどんどん進化発展していかれたそうです。


毛涯さんは台座の材料に真鍮を使い、それを自由自在に染めたり、鑞付けしたりしていろいろな「モノ」が収まるすばらしい台座を作っています。

今回の展示でも彼の台座によって、良さが最大限に引き出されている出品物がたくさんあります。


展示に来廊してくださる方は是非、素晴らしい台座にも注目してみてください。


皆様のご来廊を心よりおまちしております。通常とは違い、企画展中はノンストップ、予約不要です。


企画展「線とかたち」

10/30(SAT) – 11/7(日)

11:00-18:00

ギャラリー久我にて


2021.10.08

「線とかたち」展 10/30-11/7

この度、ギャラリー久我では「線とかたち」展を開催いたします。

出品者は、ロシア・サンクトペテルブルグ在住、ご実家のある世田谷を行き来しつつ精力的にご活躍中の骨董商・毛涯達哉さん。(神ひとケモノ主宰)


彼との出会いは偶然でした。 たまたま、毛涯さんが扱った発掘美術品をわたしが個人的に購入したことがきっかけです。また、更に拙ギャラリーと毛涯さんのご実家が近かったということで、一度遊びに来ていただき、いろいろなお話を伺いました。

毛涯さんの実にユニークな体験を伺った後、拙ギャラリーで展示をしていただきたい!という気持ちが湧き、その旨毛涯さんにすぐお伝えしましたところ、ご快諾いただきました。

1月に発掘美術品を購入させていただき、2月にお目にかかり、秋の展示をご一緒することが決まったので、マッハスピードです!

このブログでも何度も書いておりますが、わたしが小学校の時に大好きだったNHKテレビ番組「未来への遺産」。

失われてしまった古代遺産を巡る、この番組に恋い焦がれて、将来は古代遺跡発掘をしたいと、本気で思っていた時期もありました。

残念ながら、その後は古代遺産の道とは全く異なる人生となりましたが、その憧れは常に私の心の中にあり、よって「未来への遺産」本5冊も、海外引越の際にも持ち歩き、今でも手元に大事に保管しています。





ということで、私にとっては毛涯さんとの出会いはほぼ運命と確信。

拙ギャラリーが古代発掘美術品の展示の場所になるなど、まるで夢のようです。


お客様にとっての素晴らしい展示であることが一番ではありますが、何しろ私自身が嬉しく興奮しています。
リストを見ても、メソポタミア、バビロニア、古代ローマ、エトルリア、ビザンツなどなど、幼少の私の心を憧れで満たした古代文明のネーミングが並び、出展リストを見ているだけでも、心がワクワクしてきます。




画像)把手付杯(紀元前3000年記 地中海東岸)



タイトルの「線とかたち」に関して

タイトルは私が決めたのですが、今回の考古発掘美術品展示販売に関しては、時代や国で区切りたくないなと思っていました。

というのは、時代や国で区切る展示は、他にいくらでもあるから、私と毛涯さんがタッグを組む意味は別方向で持たせたいと思ったことが一つ。

それからいわゆる骨董には独特の線があって、その線が形を作っていくのだから、時代時代の「線」を見極めることが大事という考え方があることも理由の一つでした。

それならば、古代の「線」が「かたち」を作る、そのプロセスを感じ取れる展示にしてみたら面白いのではないか?

いずれにせよ、出品される発掘考古品は、紀元前5000年くらいの縄文のものから7−12世紀のビザンツあたりと幅広く、国境も軽々飛び越えています。
その古代の「線」が「かたち」となったものに、私達はどのようなことを感じるのでしょうか?


是非会場で、実物と対峙し、感じてください。

皆様のご来場を心よりお待ちしております。

*今回の「線とかたち」展の図録を会場で販売いたします。(¥3000 B6サイズ 128x182mm 厚さ6mm P64)


「線とかたち」

10月30日(土) 〜 11月7日 (日) 11:00−18:00

会場: ギャラリー久我

予約不要

DM ご希望の方はcontactより必要事項をお知らせください。

よろしくおねがいいたします。

2021.08.31

2021−夏 BOOK LIST

今日で8月も終わり。

57年ぶりのTOKYOオリンピックが開催され、感染症は蔓延し、行動は規制され、摩訶不思議な2回めの夏が終わろうとしています。


皆様はいかがお過ごしでいらっしゃいましたか?


私はこの夏も、心を本の世界に遊ばせました。

夏休みの宿題ではありませんが何冊か心に残った本をご紹介します。

今年は、今まであまり興味の持てなかった幕末史を扱った本もリストに入りました。





1)「その後の慶喜」家近吉樹著


これが、おちゃらけた「その後の慶喜ライフ」なのかなーと思いきやぜんぜん違うのである。

大政奉還を成し遂げ、心ならずも朝敵の汚名を被せられた慶喜の長い人生後半戦にスポットを当てた作品で、読了した後には、ため息一つ、そしてすぐにアンナ・シャーマンの「追憶の東京」から上野―最後の将軍の章を再読することとなった。


人生は、終わるまで勝者は誰かわからんーというのがまず心によぎったことであり、慶喜のしたたかさ、さすが徳川260年のしぶとさを目の当たりにしたような気がした。

要するに、慶喜は、自分を追い落とした新政府が作り上げた明治の始まりから終わりまでを見届け、そして自らを葬り去った新政府の面々の生き死にを見届け、その間に名誉も回復し、徳川歴代将軍の誰よりも長生きをしたのである。

静岡時代は、渋沢栄一以外の幕臣とは面会せず、これまた蟄居した先で斬首された小栗忠順とは対象的だ。

小栗は、家族と家臣と大量の荷とともに権田村に移ったが、謀反を起こすやもしれぬと新政府に警戒された。


慶喜は、時制が落ち着いた頃、渋沢栄一とともに「昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談」を制作して、そしてその後は渋沢栄一とも会わなくなったという。

慶喜は引退後も、徳川武昭や、大正天皇后、有栖川宮などの人々と交流しながら自転車、写真、刺繍、狩り、最晩年には自動車を楽しんだのだそうだ。

諦念はありつつも、ある幸せな一生だったのではないか。



2)「類」朝井まかて著


朝井まかての本は読んだことがなかった。

「類」は、森類。

森鴎外の末子である。森茉莉、小堀杏奴の弟だ。

ここに感染症が出てきた。百日咳で死にかけた茉莉と死んだ不律だ。


その昔、森茉莉に一時大ハマリしていた時期があった。

文庫本で買うのでは物足りなく、筑摩書房から出ている「森茉莉全集」を揃えて、そこから拾い読みして満足していた。


しかし。

この「類」を読んだ後は、森茉莉の作品を読んで、再確認せずにはいられない。

「クレオの顔」


愛すべき姉弟である。

茉莉の気ままさ、自儘。

そして杏奴の、芸術家気質を備えながら、どこか保守的な思考を抜け出せない生活態度。

そして芸術家にもなりきれず、しかしながら生活一般が芸術的である類。

最後は、妻に「働いてください」と懇願される。

杏奴には筆禍で、姉弟関係を断絶され、自儘で掴みどころのない茉莉に共犯者めいた心持ちで、すがり、頼り、金を借りる。

類の、妻と子どもたちに迷惑をかけっぱなしでいながら、戦時中であっても、どうしても東京に出ると自分だけ喫茶店で珈琲とアイスクリームを食べることをやめられない。

いや、やめられないという発想でなく、類にとっては当然の行為なのである。


類は、パリに絵の勉強に行った。

しかし、生活芸術者である彼がパリで得たものは、身にまとう空気感であり、食であり、少なくとも絵に対する真摯な気持ちではなかったのである。

おそらくパリの空気を身にまとった類は、意外と魅力的な男であったのかもしれない。

そんな体たらくでありつつも、美穂との結婚式は帝国ホテルであげた。


一緒に、昼夜逆転の生活をしていた長女の茉莉。

しかし、茉莉だけはその自堕落な生活を見事に芸術に消化させ、作品の中に花開かせた。

最初は杏奴の作品の影に隠れていたように見えたが、最終的には、森家の兄弟の中で一番の文豪となっていったのだ。


そして類はあくまで生活芸術者として終わる。

いや、彼も書いたのだ。

そしてその内容で、杏奴と断絶することになる。

類にはそれがなぜなのかどうしてもわからない。


暮尾は麻里とその息子の普律の間で、「クレ叔父」といふ愛称で、呼ばれていた。

(「クレオの顔」森茉莉)
「類」、このものがたりは、

生活芸術者であり、それを作品に昇華させた茉莉、

生活芸術者であろうとしたけれど、世間の目、母親、夫に美しい夢物語を見せ続けることに転換した杏奴、

そして生活芸術者であることにしか、その意義がないことを認識し続けていた類、

の人生を苦くえがいたものである。



3)「ミシンの見る夢」ビアンカ・ピッツオルノ


サルデーニャ出身のビアンカ・ピッツオルノは、児童文学の作家としてのほうが有名だと、私のイタリア人の友人から知らされた。

19世紀イタリアの話、おそらくシチリアか南イタリアの話であろう。


お針子である主人公は、家族が全員感染症のコレラで死に、唯一の身寄りである祖母と2人で暮らすことになる。

上流階級の家に奉公として住み込むことはせず、半地下ではあるが少なくとも二人の家であるアパートに暮らしながらお針子をして生計を立てている。

祖母が死に、7歳から針の仕事を祖母から見様見真似で習い始めた主人公は、祖母の後を継ぎ、お針子をしながら生活していくことになる。

家賃を払わない代わりに、アパートの共有部分の掃除をしながら、あちこちの家に呼ばれて仕事をしていく。

故に、「お針子はみた!」状態の家族の秘密をたくさん知ることになるのだ。


パリのプランタンからドレスを注文しているかのように見せかけていた弁護士の家族や、若旦那の私生活の隅々まで面倒を長年に渡って見てきた年寄りの女中、自由を謳歌し、主人公に年金を当てながらも最後は殺されてしまったアメリカ人のキャリアウーマンなどなど、登場人物は多彩である。

主人公の秘めたる恋話も出てくるが、決してハッピーエンドには終わらない。

いわゆる大奥様、とよばれる街の上流婦人が死んだのは104歳の時だったりする。

最後は、突然の大円団という気がしないでもないが、19世紀、マッチョなイタリア社会で、女が一人腕一本でしっかり社会に立っていくというテーマは希望を与えてくれる。(とはいえ、主人公はレイプまがいの目にあい、針で応戦したりもする嫌な場面も出てくる)


この本から感じる、懐かしい南イタリアの匂い。

物語から立ち上がってくる空気や風、光までもが懐かしく、過去に何度か過ごした南イタリアの夏がしみじみ恋しい。



4)「万波を翔る」木内昇著




「その後の慶喜」に続く幕末物語。


この本を手にとったのは、大河ドラマの影響にあることは間違いない。おそらく人生で初めてオンタイムで見ている「青天を衝け」

最初は題字が、え、杉本博司なの?程度の興味だった。幕末は明治維新と相まって、日本史の中でも一大転換期であるし、登場人物も沢山いる。

大河ドラマでも何度も取り上げられているこの時代ではあったが、今まではどうも興味を持つことができなかった。

しかし、今回の「青天を衝け」は農民から攘夷活動を経て幕臣に取り上げられ、しかも経済の父とよばれるまでになった渋沢栄一が主人公だし、何しろ脚本が大森美香ということで見ているうちに、だんだんこの時代のことをもっと知りたくなってきた。


大河に続いて、同じNHKの番組で「英雄たちの選択」を見たことも大きかったかもしれない。

その番組では、パリ万博における幕府側の外交失敗が取り上げられていた。

栗本鋤雲、そして田辺太一。


「万波を翔る」の主人公は田辺太一。

1857年、長崎海軍伝習所で学び、後、外国奉行・水野忠徳の下で働くことになる。こうして外交という仕事の末端についた田辺太一は、時制の急な展開とともに、自らも政治と外交の嵐の中に投げ込まれていくというノンフィクションである。


太一はベランメイのチャキチャキ江戸っ子である。

上司におもねることはできない。

思ったことは言う。

だからこそなかなか念願の欧州への使節派遣もかなわない。

二度も行けそうになりつつ、直前でだめになるのだ。

しかし、太一は諦めない。


その後、咸臨丸に乗り、水野とともに小笠原諸島の測量に関わったり、徳川昭武の一行とともにパリの万博にも出向くこととなった。

パリに出向いている間に、徳川慶喜は大政奉還を果たし、田辺の仕事は新政府に受け継がれてしまうことになる。

しかし、ここで田辺は幕府としての今までの外交の失敗点からどうすべきであったのかをまとめた外交指南書を作成し、それを勝海舟に託す。

最後は、渋沢栄一が、沼津の徳川家兵学校の教授におさまった太一を、外務省へ入省させるべく口説きに来るシーンで終わる。


田辺太一は、その後新政府の外務省に入省し、岩倉遣欧使節団に一等書記官として随行、また清国公使館に5年勤務するなど、日本の外交に大きく貢献した。


パリで一緒だった栗本鋤雲は「二君に仕えず」と新政府からの要請を固辞し、その後ジャーナリストとして海外文化を紹介するなど活躍した。


一番の感想が、時代が変わっても国の本質は変わらない、という哀しい感想である。

太一はじめ、彼を取りまく同僚や上司の気質に時代性からくる違和感がない。

昨今の日本の政治の混迷、感染症対策における右往左往、責任の所在のおしつけあい、哀しいほどのリンクを感じるのだ。

もしかしたら岩瀬や、水野のような外からはわかりにくい切れ者、太一のようなパッションだけは誰にも負けないような逸材もいるのであろうか。

(とはいえ、岩瀬も水野も蟄居させられてしまうのだが。。)


しかし、ということはやはり今の時代は混迷を極めた時代だと言うことが言えるのかもしれない。

この国の舵取りをどうしていくのか。


「この国の岐路を異国にゆだねてはならぬ」



5)「ザリガニの鳴くところ」ディーリア・オーエンズ




読了後、心は未だ行ったことのないノース・カロライナの湿地をボートでたゆたっている。

昨年からかなり話題になっているミステリー小説である。

ミステリーであると同時に、壮大な女の一生を描いている作品でもある。

作者のディーリア・オーエンズがもともと動物学者であることから、湿地と底に生きる動植物の生態も詳細に描かれており、まるでいつのまにか自分もボートに乗って、湿地のあちこちをさまよっている感覚になるのだ。


幼いカイアのもとからは家族が次々と立ち去った。

まずは3人の兄姉が。

そして母親が。

最後に、一番自分と仲良しだった兄が。


カイアは、アルコール依存症で、暴力的で、人生に絶望している粗野な父親と二人湿地の中の掘っ立て小屋に取り残されたのだ。

しかし嘆いている暇があるわけもなく、なんとか「生き延びる」手段を7歳ながらに講じていかねばならない。

粗野な父親に小銭をもらいながら食料を買い、なんとか料理をして食べていかねばならなかった。


その父親すら失踪してしまった後には、ムール貝を掘り出し、それを黒人の経営する雑貨食料品店に売ることで命をつなぐ。

食料品店の黒人夫妻は、黙ってカイアの手助けをする。


そのうちに、カイアは、後に学者になり、カイアと生涯を共にすることになるテイト、そしてカイアと関係性を持つことになる街の有力者の息子、チェイス・アンドルーズと知り合っていく。

カイアが大人の女性になり、一時付き合いのあったチェイス・アンドルーズが死に、物語は一気にミステリーの様相になっていき、裁判の詳細なシーンが描かれる。


大人になったカイアはどうなったのか?


彼女はその人生をともに行きた湿地の事を知る大家となったのだ。

まだ幼い頃から集めていた湿地に降り立つ鳥の羽根、そして貝のコレクションはいつの間にか博物館並みのレベルになっていた。

そして絵を書くことを覚えたカイアは、湿地の植物や動物の絵を書いた。

カイアは、湿地に生息する動植物や、貝に関する本を出版することになったのだ。


「好き」を追求したら、それが大きく育っていった。


ふと、ちょっと前に読んだ本を思い出した。

「ビシネスパーソンのためのクリエイティブ入門」原野守弘著



名著である。


原野さんは言う。

全ては個人的な「好き」からはじまる。

「好き」とは「共感」し、「連帯」することだ、と。


カイアの「好き」は、テイトの「共感」を生み、出版社の「連帯」により本という形に結実したのである。


作中のアマンダ・ハミルトンの詩も素敵だし、ミステリーの要素にもドキドキしつつ、最終的に、私が一番感動したのがカイアの「好き」が「本」という形に実ることであった。

そして最後は思いがけない展開に、少し心が揺さぶられたのだった。

2021.06.08

鈴の音に引き寄せられて

仕事柄、定期購読している骨董雑誌がある。

そこにはたくさんの骨董屋さんの広告頁が出ているが、数ヶ月前からある広告が気になっていた。

骨董屋とは、大体が漢字の重々しい屋号で、こちらが威圧感を感じるのが目的なのかはわからぬが、とにかくそんな感じである。

ところが目についた骨董屋の屋号はアルファベット、しかも英語ではなく、どうやら造語らしいのである。

グラフィックも、何やら今にも倒れそうな、風邪で寝込む寸前、のような脱力感満載のものなのだ。

驚きはもう一つ、その場所である。

その雑誌に掲載されるのであれば、お約束であるような京橋界隈ではない。

全く違う,いわゆる住宅街として認識されている場所である。

驚き三連発の上に、掲載されている骨董は至極まっとうな、というか由緒正しき感じの作品で、印象に残った。



昨今は骨董屋といえども,時代の波に抗うことはできない。

一昔前であれば、そんなもの、とそっぽを向きそうないわゆる重鎮骨董屋さんもSNSを無視できない時代になった。

私も、SNSでは骨董屋さんを数箇所フォローしている。

最近はAIによる解析で、私が興味を持ちそうなものは勝手に紹介されてくる。

そんな中で、鈴の展示の記事を載せているアカウントがあり、おや、と思いフォローしてみた。

なんでも6月にコレクターが長年に渡って集めてきた鈴の展示販売をするという。


鈴である。
鈴は、今から10年くらい前に三個ほど縁があり、手に入れたことがある。3点とも江戸時代のもので、一つは馬鈴、一つはお寺さんの鈴、もう一つはわからない。

その後、良いな、と思った鈴を骨董屋で見かけ、価格を聞いてみたら50万円といわれ、速攻諦めた。


10年を経て、再び鈴である。

しかもコレクターの集めてきたものである。

なんでも、明治時代に集めたものらしい。ということは所有者はもう亡くなっているはずだ。

これは行ってみたい!と心を決め、あらためてアカウントのプロフィール欄をみてみたら、なんと私が目を留めていたあの革新的骨董屋さんだったということがわかって、二度驚いたのだった。


展示は午後1時からだとのことだったが、整理券を配るらしい。

整理券で順番を決め云々は、最近の傾向とは思うのだが、わたしはふらっと出かけ、そこにあるものの中から縁のあったものを持ち帰ることを好む。

多分、目指すものだけを目的に出向くと、見落としてしまうものだらけになってしまうから、その時のライブ感を大事にしたいと思っている。

これは過去にいろいろな買い方をしてきた末に得た私の結論だ。


店についたのは2時過ぎ頃だったか。

展示物はトータル108点とのことだったが、さすがに半分くらいになっていたのだろうか。

でもまだまだ選ぶ余地はあるのでかなりの時間をかけて数点を選んだ。

中国清朝の鈴、江戸時代の実用鈴、装飾鈴、華鬘鈴、面白いのが、江戸時代の神品ブームとして復刻された古代鈴などである。

また店にいた時間が愉快であった。

物腰柔らかで誠実な感じの店主に引き寄せられたお客さんたちも、そんな感じの方々ばかりで、自然に話が始まり、お互いに知識を分け合ったり、私がめざす「感性のおすそ分け」が自然な形でなされているのである。


そんなわけで思ったよりもずっと長い時間、店内で過ごすこととなった。

最後の嬉しいおまけは、コレクターがその愛する鈴を収めていた清朝の漆箱を購入できたことである。

最初は、箱を販売しているとは気づかず、店内にのんびり長くいたので「あれ、もしや売り物かしら?」と思って聞いたところ売り物と分ったのだった。


帰宅後、あらためて箱を開け、鈴を一つずつ,ちりんと振ってみた。

時代の音である。

心が、いにしえの時代にリンクし、しばし彷徨う豊かで贅沢な時間を得た。



鈴の音にしばし魂を委ね、最近友人に借りたばかりの本を読み始めてまた仰天することになった。

友人からは、外国人が書いた東京に関する本、ということで、それはそれで正しいのだが、驚いたのはこの著者であるアメリカ人女性、アンナ・シャーマンが、時の鐘をモチーフに東京を追憶する本を書いたことだった。


鐘は鈴ではないが、鈴の巨大版とも言える。

江戸時代に鐘には大事な役割があった。

時を知らせることである。

そのおかげで江戸人はいつ起きて、仕事をして食事をして眠るのかを知ることができたのである。

シャーマンは、現存する時の鐘をめぐり、そして失われてしまった時の鐘があったはずの場所に佇む。


江戸時代に時の鐘があったのは寺である。

今でも現存しているのは浅草寺(浅草)であり、寛永寺(上野)であり、大安楽寺(日本橋)であり、築地本願寺(築地)などなどであった。

シャーマンはその場所その場所を訪れ、人々に話を聞く。

その殆どのストーリーを私は知らない。

この本によって、日本の歴史を形作ってきた鐘の存在感がぐんと大きくなってきた。


江戸の時の鐘に思いを寄せつつ手元にある江戸時代の鈴を振ってみる。

これも歴史のロマンの一コマかもしれない。



「追憶の東京 ー異国の時を旅する」 アンナ・シャーマン著 吉井智津訳 早川書房 

The Bells of Old Tokyo Travels in Japanese Time by Anna Sherman