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2019.02.12

庄野潤三邸訪問-「今」を生きる

庄野潤三邸訪問-「今」を生きる

小説家である庄野潤三が老年のご自身の生活について書かれたシリーズが好きです。なんでもない日常の中に、揺るぎない確固とした芯のようなものがあります。究極の定点観測主義者といってもいいくらいの。

庄野潤三は大正10年に生を受け、そして平成21年にこの世を去りました。1959年、昭和30年には、使い込みで会社を解雇されたサラリーマンとその家族を描く『プールサイド小景』で芥川賞を受賞しています。

その後も順調に小説家としての地位を築き、昭和35年発表の『静物』では新潮社文学賞、昭和40年発表の『夕べの雲』では読売文学賞を受賞しました。

庄野さんの小説は以降「家庭小説」にシフトしていきます。

小説の特色はドラマティックなことは何も起こらないこと。近年では、書かれた小津安二郎と言われることも。

2009年に庄野さん、そして2017年には奥様の千寿子さんが亡くなられて、その後、ご家族の方々が、庄野さんの誕生日と命日に近い、祝日の年に二回だけ、生田の山の上にある庄野潤三邸をオープンなさっています。

それを偶然購入した『山の上の家』(夏葉社)から知り、寒さの中、出かけてきました。

生田駅から、本当にひたすら坂道を登っていき、最後にはZ坂と呼ばれる坂を登りきった山の上に、庄野邸はあります。

懐かしい木造の平屋で、家の中もなんとも親しみやすい暖かな空気感に満ちていました。ああ、これが井伏鱒二さんが紹介してくれた大甕か、これが庄野さんの自筆ノートか、などなど本の中で読んでいた世界がいきなりリアルで目の前に現れます。

そして庭には、英二おじちゃんのバラ、須賀敦子さんから贈られたブナの樹。庄野さんが作った小鳥の水飲み場。

ご家族の方たちもお手伝いに出られていて、私たち愛読者にあれこれ想い出話を語ってくださいます。手作りの、とても暖かなオープンデーです。帰りには庄野さんのご愛用であったというステッドラーの3Bの鉛筆をいただきました。

帰宅後、庄野さんの『夕べの雲』を再読しました。

その昔、敬愛する須賀敦子さんが「この本の中には日本の香りがあります」とイタリア語に翻訳することにこだわった、と読んだ際、なぜこんな家族ものを??と、私は不思議で仕方がなかったのでした。

話自体も、どこにでもあるような家族の(しかも一昔前感が強い)話で、当時は私自身、大して感銘も受けませんでした。ありふれた家族の会話がだらだらと続くなーなんて思うくらいでした。

ところが、どうでしょう、今回久方ぶりに『夕べの雲』を再読してみたら、私は須賀さんの慧眼に感服せざるを得なかったのです。

確かにどこにでもある話、家族の会話です。

でもこれはあっという間に過ぎ去って、後からは思い出せもしないものばかり。家族が一緒に過ごす限定された時間の中でのみ、交わされる会話であり、出来事ばかりでした。

きっと私が今深く感動するのも、私自身の『夕べの雲』がすでに過ぎ去ってしまったからなのだろうと思います。

そう考えると、目に見えないこの瞬間をきちんと切り取り、しかもこうして作品として残してくれた庄野潤三という作家の大きさに改めて尊敬の念を捧げずにはいられません。

「今を生きる」ことの重要さを改めて学んだような一日でした。

帰りはあっという間に山を降りて駅に着きました。

生田の駅の横に、見事な柿の木畑があり、風流だなぁと見ていたのですが、最近持ち主の方が亡くなり、ご遺族の方は手放されたそうです。

どうやら今後は商業施設に生まれ変わるとのこと。次回庄野邸に来ることがあれば、この風景も変わっているのでしょうね。