menu

ブログ

2017.08.07

ホレス・ウォルポールの見た夢〜ストロベリーヒルハウスを訪ねて

ホレス・ウォルポールの見た夢〜ストロベリーヒルハウスを訪ねて

Horace Walpole(1717-1797)はイギリス初代の宰相の3男で、アートに造詣の深い政治家であり、著述家であり、コレクターでもありました。
彼が1747年にロンドン南部に見つけ、それから50年もの間、手を入れながら別荘として住み続けたテムズ川沿いの家こそ、300年近くにわたって今もなお人々をひきつけてやまないリヴァイヴァルゴシック建築のストロベリーヒルハウスです。
イートン校からケンブリッジ大を卒業したウォルポールは当時の貴族の子弟には必須であったグランドツアーでイタリアの地を訪れています。
イタリアのヴェネツィアとパドヴァを結ぶブレンタ川沿いにはかの有名な建築家・パッラーディオの立てた壮麗な館が並んでいたので、ウオルポールもストロベリーヒルハウスと、そしてご近所だった詩人のアレキサンダー・ポープの館が並ぶテムズ川を『我らのブレンタ』と名付けておりました。
イギリスでのアカデミックな人々が住む川と洒落ていたのでしょう。
ストロベリーヒルハウスを改装するにあたって、ウオルポールは、Committee of taste(審美委員会)を発足させ、親しい友人3人とともにその任に当たっています。
ストロベリーヒルハウスは、一部屋一部屋にエスプリと当時の知識が詰まっています。
扉はカンタベリー大聖堂から、天井はウインザー城の女王の間からデザイン拝借、などなど。
アンティークや美しいミニチュアや絵画のコレクターでもあったウオルポールは、特別コレクション展示のための部屋も作りました。そこには鉄の扉がつき、コレクションを見たい友人から入室料をとっていました。
ウオルポールの館は全てに神経が配られておりますが、中でもウォルポールの自室からは素晴らしい景色が見えるよう工夫されており、ここからウォルポールは生涯にわたって4千通の手紙やゴシック小説『オトラント城奇譚』を発表しています。
このストロベリーヒルハウスは大評判になり、見学者がひっきりなしに訪れたと言われています。
ウォルポールの死後、1847年に彼のコレクションはオークションにかけられ、あるアメリカ人のコレクターが多くを買い求め、彼の死後、エール大学に寄贈されました。
ストロベリーヒルハウス自体は時代の流れとともに、持ち主も変わっていきましたが、最終的に今は財団となり10年かけての大修復も終了し、かつての美しい姿を取り戻しました。
ウォルポールの情熱を今でも訪れる人は感じることができるのです。
思いがけずに得た喜び、発見をSerendipityと言いますが、奇しくもその名付け親はウオルポールでした。